
仁王の予想通り、あれからジョーカーは全く動く気配を見せず、何事もない日々が続いていた。
生徒会や風紀委員の活動強化の影響もあってか、あれほど盛んに行われていたこっくりさんも、今やそのなりを急速に潜め、生徒の間で話題に上ることも大分少なくなってきているように思える。
ただ、巻き込まれたとはいえ、このこっくりさんが唯に残した影響は、到底軽視出来ないものであり、どうしてこうなったのか理解し難いが、仁王だけではなくテニス部のレギュラー全員と、何かしらの関わりを持つ状況にまで肥大していた。
関わりと言っても、もっぱら話す機会に恵まれるのは、仁王、切原、柳生の三人であり、残りのメンバーについては、唯自身もあまり積極的に関わろうとはしていなかった。
親しくなった三人についても、周囲から見れば、そうあからさまなものではなかったのだが、切原に限っては彼女の姿を見かけると、この前の出来事のように、遠くからだろうと気軽に彼女へ呼びかける場面が多々見られ、その度に周囲の生徒たちは揃って意外そうな表情を浮かべていた。
「赤也、お前っていつの間に、無川とあんなに話すようになったんだ?」
部活中にそんな疑問をふと口にしたのは、ジャッカルだった。
ゲーム形式のセット練習を終えたばかりの丸井も、スポーツドリンクの入ったペットボトルを口に付けたまま、彼のそんな言葉に対して興味深げに切原へ視線を向けた。
「ジャッカル先輩。どうしたんスか。急に?」
「どうしたもこうしたもって、それは俺のセリフだぜ。この前も、部活中に美術室に行ってただろ?」
「あ、えーと、あれは、柳先輩に頼まれて……」
「あ? 柳が? んだよそれ?」
ジャッカルだけではなく、疑問を抱えていたのは丸井も同じだったようで、また、柳の名前が切原の口から飛び出たことをきっかけに、彼はいよいよ話に割って入ると、切原に詰め寄った。
さすがの切原も、下手な話は出来ないことくらい理解していたが、咄嗟とはいえ柳の名前を出し、後に引けなくなる状況を作ってしまった自分の判断に内心舌打ちをする。
だが、どうやら丸井の反応を見る限り、彼らはテニス部と美術部の繋がりをまだ知らない雰囲気だった。
「あれ、ジャッカル先輩も丸井先輩も知らないんスか? 美術部が俺らの横断幕作ってるってこと」
「美術部が? 何でだよぃ」
「何か一枚破けたとかで、幸村部長が依頼したらしいッス」
「へーでも、横断幕って、元々予備も何枚かあるだろぃ? そん中で、一枚だけ手作り感満載って、すっげぇ変じゃね?」
「ブン太……」
「ん? 何か俺変なこと言った?」
いやと苦笑しながら首を横に振ったジャッカルを、丸井は怪訝な顔で見返していた。
「で、でもまぁ、一枚ぐらいそういうのあったって良いじゃないッスか! 丁度今、美術部も絵画展の絵が描き終わって、手が空いてるみたいだし」
「やけに詳しいな」
「無川先輩からメールで聞いた……あ」
ジャッカルの言葉に、つい反射的にそう答えてしまった切原は、今度こそ口を噤んだ。
勿論、その様子を見過ごさなかった丸井が、へぇと楽しそうに目を細めた。
「何? この前まで、無川のこと微妙に怖がってたのに、いつの間にかアドレス交換してんのかよぃ」
(うわぁ、やべぇ。しくった)
後輩をからかうには、絶好のネタが手に入ったと、にやにやと笑う丸井に、切原は焦りを募らせる。
「では、この前みたいに美術部に言付けを頼まれてくれないか? 赤也」
唐突に、三人の背後から声が響く。切原に向かって投げかけられたその言葉を発したのは柳だった。
振り返った切原は、びくりと肩を揺らして、大げさな反応を見せると、気まずそうに柳から瞳を逸らした。
前回、伝言を頼んだのは、勿論柳ではなく仁王だったのだが、そのことを改めて口にするわけにはいかない。
益々悪化したした状況に、恐る恐る視線を戻した切原を見て、柳は軽く唇に弧を描く。
「どうした?」
「な、何でもないッス」
「そうか。この進捗管理簿を無川に渡してきてくれ」
「りょ、了解!」
切原は慌てて首を縦に振ると、柳から書類を受け取り、一目散に校舎へ向かって走り出した。
残された二人は、疑問符を浮かべて、そんな切原の後姿を見つめていた。
「なー柳。無川に横断幕作れって言ったってマジな話?」
「あぁ。精市とも相談してな」
「また、一体どうしたんだ? お前だったら、一通り揃ってるものは崩さないイメージがあるんだが」
「あ、俺もそれ思ったわ。柳らしくないじゃん」
ジャッカルの疑問に丸井も同調する。
柳は、ほんの一瞬考え込むように口元を結んだが、すぐに薄っすらと瞳を開いて答えた。
「そんなことはない。斉一な存在の中で特異点があるのも、それはそれで面白いとは思わないか?」