
「ひとまず生徒会で準備した分は、これで全てだ。もし足りないようであれば、悪いが美術部で別途購入を頼む。その際は、立海大付属中学校の名前で領収書を忘れずに貰ってきてくれ」
そう言って、柳が机の上に置いたのは、蘇芳色の大きな布地だった。その隣に、耐水絵の具やら刷毛やら、生徒会が見繕った画材一式が入った籠とデザイン画も並べられている。
彼は続けて、生徒会室で前に聞いたのと、ほぼ同じような内容である完成までの期日などについて事細かく説明した。
昨日、絵画展への作品を再提出を終え、幾らか余裕が出来たとはいえ、今回、唯が請け負った横断幕制作は、絵を描くのとは似て非なるものだ。
一人で制作するにあたって少々時間がかかるかもしれないと、唯はそんなことを考えながら、視線だけを横に立つ彼へと滑らせた。
佐竹が、彼にとっては予告なく広げられた、目の前のそれらを複雑そうな表情で見つめていた。言葉にせずとも明らかに不満と取れるその様子を眼前の柳も気付いているだろう。けれど、柳は特別気にせず、淡々と話を進めていく。
「……ちょっと質問良いですか?」
柳の言葉を遮って、佐竹が声を上げる。
唯が慌てて制止をかけるが、彼は構わず柳を見据えたまま口を開いた。
「何で、美術部がこんなことしなきゃなんないんですか? テニス部だったらこんなチンケな自作なんてしなくても、学校が幾らでも費用出して立派なヤツ作ってくれるんじゃないんですか?」
明らかに棘を含んだ物言いに、唯は、はらはらしながら二人の顔を見返した。
無表情のまま佐竹を見下ろしていた柳が、ふっと口元を和らげる。その様子に彼は反対に、怪訝そうな表情を浮かべた。
「まぁ、そうだろうな。だが、夏の絵画展への作品提出が終われば、美術部に残っている大きな活動と言えば、秋の文化祭の看板制作だろう? リソース的にも適任だと思っているし、そもそもこの件、部長である無川へ事前に頭出しをしている話だ」
「……無川部長。そうなんですか? あ、この前の生徒会からの話ってこれだったんですね?」
「う、うん。あの時、話さなくてごめんなさい。この話、私の独断で受けてしまったから、制作は私一人でやるし、佐竹くんには迷惑かけないようにするから」
「それにだ」
急に声の調子を下げた柳の声に、唯が彼の方を見ると、普段はじっと伏せられている彼の瞳がうっすらと開かれ、髪と同じ黒檀色の鋭い眼差しが佐竹に向けられていた。
冷ややかな空気が二人の間に漂う。
「仮にも自分の創るものを“チンケ”と表現するなど、佐竹、お前の程度が知れるものだな」
柳は緩やかに唇に弧を描き、目を細める。彼の言葉に、佐竹は頬を紅潮させると、両掌をぐっと握り込み俯いた。
「無川」
「は、はい」
先程の様子が嘘のように落ち着いている柳に、唯は思わず声を裏返して返事をした。
「では、手間をかけるが頼んだ。何かあれば、遠慮なく生徒会に言えば良い」
分かりましたと彼女が返事をすれば、柳はそこで思い出したように付け加えた。
「そうだ。言い忘れていた。新聞部が、横断幕の制作過程を取材したいらしい。後で挨拶もかねてここに来るそうだ」
言い残して、柳は唯の反応を待たずにそのまま美術室を出ていく。その間、佐竹は俯いたままだった。
扉が閉まる音が響き、足音も遠くなった頃、彼女は恐る恐る佐竹の様子を窺った。
彼はふいに顔を上げ、意外なほど強い光を宿した瞳で唯を見ると、机の上のデザイン画に視線を向けた。
「デザインってこれですか?」
「あ、そうだけど」
デザイン画を勢い良く手に取ると、佐竹は食い入るようにそれを見つめる。やがて、机の上の布を力任せに掴んで、机の上に広げ始めた。
彼の唐突な行動に、あっけに取られて唯が固まっていると、今度は画材道具の入った籠に手を伸ばしながら佐竹が言った。
「俺も手伝います。なんか、あの人の言い方、すっげぇ気に入らない。無川部長、一人でやるって言ったって効率悪いですよ。多分、他の部員に声かけても参加しないと思うし。ここって文化祭以外は、そういう皆で協力してとか無縁じゃないですか。個人的にはそういうの嫌いじゃないけど。無川部長、そっち引っ張ってもらって良いですか?」
佐竹に言われるまま、唯は布の片方を持ち、皺を引っ張るように広げていく。
「お邪魔しまーす!」
突然、扉が開くのと同時に、明るい声が美術室に飛び込んできた。
「あ、早速やってるーもう、柳くんから話は聞いてるよね?」
言うが早いか、その少女は扉を閉めると、嬉々として二人の側へ小走りに駆け出した。