
「じゃあ、まずは今回の件の整理から始めるかのう。柳生から話を始めるぜよ。質問は、その都度答えるからそれでいいじゃろ?」
切原の足音が遠のいてから仁王が切り出した。
彼の切原のことなど何も気に留めていないというような態度について、二人は気になりはしたものの、結局は柳生も唯も揃って頷く。
時間はもう十八時を過ぎている。あと一時間もすれば、昇降口が施錠されると柳生が言ったところで、仁王は、いざという時はここから出れば良いと、指先にぶら下げた保健室の鍵を二人に見せつけるようにしてにやりと笑った。
柳生は、一瞬怪訝そうに眉をひそめたが、かといってこれ以上、鍵の出所についてに口を挟むことはなかった。
「分かりました。では、私から。その節は無川さんに失礼なことをしてしまい、大変申し訳ないと反省しているのですが、仁王くんの変装をして彼女に憑代を受け取ってから、すぐに話の真偽を確認をしようと思ったんです。しかし生憎と校内にある複数の空き教室のどれが該当するのか、私は存じておりませんでしたので、無川さんが併せて仰っていた部室に取り急ぎ向かいました。ところが、部室も既に鍵が掛けられていたため、その日は諦めざるを得ませんでした。翌日に雨のため部活が中止になったとの話を丸井くんから聞いた時、ちょうど部室には私と丸井くんしかおらず、彼もすぐに部室を出て行ってしまったので、これはまたとない好機だと思い、部室内のそれらしいところを探していたんです。けれど、無川さんの仰ったような“結界”や“ジョーカー探し”に繋がるようなものは見つからず、考えあぐねていた時にふと、何となくですが、ロッカーの上が妙に気になったんです。それで確認してみたところ“それ”が私のロッカーの上に貼りつけてありました。確か大体上下五cmほどに折り畳まれた紙のようなものでした。中に何か包み込んであるのか若干厚みのあるそれを見た瞬間、これが無川さんの仰っていた“結界”だと思ったんです。今でこそ結界と銘打っているものなら、むやみやたらに触れるべきではないと理解していますが、当時の私はとにかく冷静さに欠いておりまして、考える間もなくそれをロッカーから引き剥がしてしまったんです。そして……ええと、確かそれを開いて、中を……中に入っていたものを、そう、確かに見たんです」
それまで順調に話し続けていた柳生が、急に言い淀む。
彼はこみかみの辺りを押さえて、まるで何かを必死に思い出そうとするかのようにしきりに軽く頭を振った。
そうして、やっと糸口を見つけたと言わんばかりにはっと息を飲んだかと思うと、柳生はブレザーの内ポケットを確認し、濃紺のハンカチを取り出して慎重にそれを開いた。
だが、彼の予想に反して、そこには何もなく、一連の話を腕を組みながら聞いていた仁王は、やっぱりなと呟いてから彼に尋ねた。
「その中に“あったはずのもの”は、俺が仕掛けた結界……部室に異変が起きたら分かるようにしていた仕掛けじゃが、少なくともそれじゃない他のヤツが仕掛けた何かぜよ。柳生は見たんじゃろう? 色形は覚えとるか?」
「え、えぇ。確かに、確かにこの手で触れて、細部まで確認したはずなんです。なのに、形も色も感触も全く思い出せないんです。そこだけが、ぽっかりと抜け落ちてしまったかのように、どうしても思い出せないんです」
「あの……切原くんと国舘くんがその時、柳生くんを後ろで見ていたことは、知っていましたか?」
切原がこの場にいない以上、彼らが取った行動については、唯が補完することになる。
彼女の言葉に、柳生は辿る記憶をそのままに続きを話し出した。
「いえ、全く気付きませんでした。とりあえず、思い出せるところから話します。その結界の中を見た直後に、背後から音がしたんです。咄嗟に振り返ると、そこにはあの黒い靄が二つ立っていました。私は、突然のことに混乱してしまって、そのまま部室を飛び出してしまったんです。あの靄もすぐに私の後を追ってきました」
「それが、多分切原くんたちです」
「そうでしたか。けれど、あの時の私は、本当に一切の考える余裕がありませんでした」
自嘲気味に笑う柳生は、目の前に置いてあったペットボトルを手に取ると、中身を一口煽る。
彼は僅かに濡れた口元にあのハンカチを宛がおうとしたが、すぐに思い止まると、柳生にしては珍しく手の甲で軽く拭った。
「続けます。とにかく逃げなければと思って、廊下を走っていたんですが、部室を飛び出して近くの角を曲がった次の瞬間には、何故か私はあの鏡があった階のすぐ下の踊り場に立っていました。余りのことに、益々状況が飲み込めず立ち尽くしていると、私の名前を呼ぶ声がしたんです」
再び、柳生が言い淀んだ。彼の瞳が、迷うように左右に揺れている。
「私、その時、廊下の反対側にいたんです。柳生くんに間違って憑代を渡してしまったことを仁王くんに伝えた後のことです。仁王くんはその時、柳生くんを探し回っていたはずです」
「! では、やはりあの声は……」
柳生が握り締めるように手中に収めていたペットボトルが軋む音が響く。
「私を階段の上から呼んだのは、仁王くんでした。手招きをしながら、私をあの鏡がある踊り場から呼んでいたんです」