
非凡な才に恵まれているのは勿論のこと、その誰もが個性的な色を放つ彼らが所属する男子テニス部において、それでも彼にとっての仁王雅治という人物は、特に異質な存在だった。
彼ほど、何を考えているのかその真意を測りかねる人を少なくとも彼は知らない。
勿論、そう言った側面を持つ存在は仁王に限った話だけではない。柳にしろ幸村にしろ彼にとって“何を考えているか分からない”というカテゴリに放り込むことが出来る人間は、確かに他にもいる。
だが、仁王においては、それらとはまた一線を画していた。
それが一体何であるのか、一年以上経った今でもまだ分からなかったが、それすらも彼の一つの特徴なのかと一応は納得していたつもりだった。
いずれにせよ、彼にとっての仁王は、違和感を抱えつつも尊敬する一人の先輩として納まっていたのだ。
彼のその“一線を画した何か”が、思わぬ形ではっきりとした今、果たしてこれまでと同じ純粋な感情をもって、彼と接することが出来るのか。
切原には、答えを口に出すことはおろか、思い浮かべることさえ今は上手くやれる自信がなかった。
一体、仁王と国舘の間に何があったのだろう。
その疑問を尋ねるのに二の足を踏んでいるのは、きっと仁王の行動が、余りにも普段と変わらないからかもしれない。
切原は、自然と舌に浮いた生唾を飲み込んで、彼から視線を外すと携帯電話を手に取った。
先程まで操作していたゲーム画面は消え、待ち受けの画面に切り替わっている。手にしたものの、特別何かしたいことがあるわけでもない。
結局は、携帯電話を見ているふりをして、仁王の出方を伺うことに決め、耳をそばだてていた。
柳生も唯も同様に押し黙っており、気まずさが覆った空気だけが濃度を増していく。
「……まるで、今から葬式でも始めるみたいじゃのう」
「ちょっ! 葬式って! 洒落になんないッスよ! ただでさえあんな気持ち悪いことが……あ」
のらりと仁王が口を開いた瞬間、ついいつものように切原は反応してしまい、慌てて口を噤んだ。
喉奥で楽しそうに仁王が笑いながら、彼は再び小さな欠伸をする。
「さて、本題じゃが、無川はともかくとして、柳生も赤也も、面倒事に首を突っ込みたくなかったら、今すぐ帰りんしゃい」
「っ! 仁王くん!」
彼がこれから何を話し始めるのか理解した唯は、困惑した表情を浮かべて仁王の言葉を遮った。
この展開には、心当たりがあるのは勿論だが、こうなることを嫌がっていたのは、他でもない仁王自身のはずだったことを彼女も良く知っている。
だからこそ彼女はあの朝に、何も知らない切原たちに向けた彼の思いつきの裏に込められた、牽制以外のそれをあえて受け入れたのだ。
「どの道もう遅い。言ったじゃろう。無川のせいだとは思っとらん」
でもと言いかけたが、仁王がまるで睨みつけるように唯を見れば、閉口せざる得なかった。
仁王はそのまま薬品棚の方へと向かうと、包帯と消毒液を取り出し、そこで制服のポケットに入れたままにしていた右手を引き出した。
室内の薄暗さに唯たちからは彼の手の状態を確認することは困難だったが、柳生と同様に包帯を巻く程度の保護は必要なようだった。
彼女は静かにソファーから離れ仁王の元へ向かうと、無言のまま切原たちからさり気なく仁王の腕を覆い隠す位置に立ち、彼の治療を手伝った。仁王は何を言うわけでもなく、彼女が包帯を巻いていく様子を大人しく見つめていた。
「どうぞ続けて下さい。私は元からそのつもりでしたし、今回の件は、私の責任でもありますから。それに、恐らく彼も帰らないと思います……ねぇ、切原くん?」
「え? あ……お、俺は」
柳生に話を振られた切原は、思わず言い淀んだ。
明らかに迷っている様子の切原に、意外そうに柳生は首を傾げた。
「切原くん?」
「あ、すんません。俺」
「無理する必要はないぜよ。赤也の思うことにも一理ある」
俯いていた切原と、じっとそんな彼を見つめていた唯との目が合った。
彼女の意見も求めるようなそんな彼の瞳に、彼女は弱々しく答える。
「最後に決めるのは、切原くん自身じゃないでしょうか。けど、迷っているなら……それに、きっと仁王くんが切原くんのために上手くやってくれると思います」
そう言って、困ったように唯は仁王へと視線を向けると、彼は小さく頷く。
項垂れたまま目を閉じた切原が、深く長い嘆息をついた。
「そうッス……ね。俺、止めとく。さっきまでは、何が何でも全部聞いてやるって思ってたけど、何か情けねぇけど、俺さっきからすっげぇ怖いんスよ。話聞いたら、仁王先輩がずっと遠くなりそうで」
しんと室内が静まり返る。
唯が仁王の様子を窺えば、彼の表情に特別変化は見られなかった。ただ、顎に添えられた指先が、まるでリズムを刻むように揺れている。
「赤也。お前さんはもう帰りんしゃい。明日“何とかしてやる”から、今日はとりあえず休んだ方がいいじゃろう」
「はい……」
のろのろと切原は立ち上がると、唯たちへ振り返ることなく彼は真っ直ぐ扉の方へと歩いていった。
仁王の言う“何とかしてやる”というのは、あの一番初めのこっくりさんでクラスメートたちに施したように、何らかの方法で切原の記憶を無くすことを指しているのだろうと唯は思った。そして、今、仁王がどんな思いで、切原の背中を見守っているのかを推し量ることは困難だった。
静かに、それでも心の底に重く圧し掛かるようにして響いた扉の閉まる音に、彼女はただ複雑な思いを抱いていた。