
二口ほど嚥下して紅茶の暖かさを噛み締めていた唯は、そこでようやく違和感に気が付いた。
「あの……仁王くんと国舘くんは?」
声を抑えて柳生に尋ねたつもりだったが、思いのほか静まり返った室内に彼女の声は大きく反響した。
切原が携帯電話のディスプレイから視線を剥がして、柳生よりも先に説明を始めた。
「全員が鏡を出たあと、仁王先輩が国舘に話があるとかで鏡の前に残って、俺たちだけ先に保健室に来たんスよ」
「もう間もなくこちらに着くと、先程仁王くんから連絡がありました」
柳生が言葉を重ねると、切原は再び携帯電話に視線を落とした。
切原は何かゲームをしているらしく、忙しなく指を動かし続けている。だが、彼の表情は浮かなく、ゲームを楽しんでいるというよりも手落ち無沙汰を解消するために、とにかく何かに没頭しようとしているという印象だった。
少し前までの切原とはどこか違うと、彼の携帯電話から漏れ響く楽しげなメロディーをぼんやりと聴きながら、唯は漫然とそう思った。
切原だけではない。
柳生も話す言葉や仕草、雰囲気に何とも言えぬ緊張感を帯びている。
その矛先は、仁王と。
「あ、あの」
機械音をかき分けるように発された唯の言葉に、二人が揃ってびくりと肩を揺らす。
彼女の推考が確信に変わり、同時に途方もなく悲しくなった。
かと言って、彼女の表情が曇ることはなく、彼女も彼女で、彼らのこの変化に気付かないふりを続けることを選び、出来るだけ自然に見えるよう意識しながら口を開いた。
「あれから、どうなったんですか?」
彼女の問いに二人とも押し黙る。
そして互いに目配せをしたあと、柳生が眼鏡を押し上げながら遠慮がちに答えた。
「その話は、仁王くんがこちらに来られたら詳しくお話し致します」
言って柳生も携帯電話へと視線を落とした。
切原は、携帯電話を握り締めたまま、唯へと視線を泳がせる。彼の口元が、僅かに震えたが、すぐに切原はぐっと飲み込んで胃の底にきつく言葉を押し込める。彼女はそれも気付かないふりをした。
突然、切原の携帯電話から溢れていた音楽が転調し、あ、と短い声を上げて慌てた様子で彼が携帯電話を操作を始めると、やがてあーあとため息を乗せた言葉と共に彼の携帯電話がソファーに半ば投げ出されるように置かれた。
どうやら、切原のゲームは良くない状態で結末を迎えたらしい。
そうして結局のところ、この室内に重く充填したままの気まずい空気は、逃げ道をなくしたまま三人の間を取り巻いていた。
危ういところで均衡を保っているが、恐らくこれは仁王が保健室へ辿り着くまで続くのだろう。唯も携帯電話のディスプレイに表示されたアナログ時計を見つめたまま、今のこのどうしようもない状況を持て余していた。
どれほどの時間が経っただろうか。
そう思って、何度目か分からない携帯電話を通しての時間確認をした唯は、予想以上に時間が経っていないことに素直に驚いた。
ふと彼女が横目で柳生を見れば、彼もしきりに携帯電話を気にしているようで、彼が視線に気づく前に直ぐに目を逸らした彼女は、マグカップに手を伸ばすと、とうに冷めきった残りを飲み干した。
霊感がある唯には、現状この保健室において一応の安全は保障されていることが分かっていた。だが、二人にとってはいくら事態が収束したとはいえ、この状況に未だ少なからずの不安を感じているのだろう。
現に建物のほんの微かな軋む音にさえ、二人は過敏に反応しては、唯の顔色を伺い、その度に彼女は首を横に振ってみせていたのだ。
そんなやり取りが十分ほど経った頃、廊下を歩く足音が響いてきた。
微かに聞こえてきた一人分の足音は段々とその主張を増し、三人はにわかに緊張した面持ちで顔を見合わせる。
やがてノックの類もなく、静かに扉が開かれる。三人の視線が否応なくそこに集中する中、廊下の深闇から滲み出るようにして仁王が姿を現した。
彼は軽く三人にそれぞれ視線を流してから、真っ直ぐにソファーに向かうと、柳生の隣に腰を下ろした。
それから机の上に置かれた茶のペットボトルに躊躇なく手を伸ばす。かちとというキャップを捻る音が響き、仁王が中身を嚥下する音が室内に反響した。
彼は、全員の視線が自分に注がれていることを意に介しておらず、順調にペットボトルを空けていたが、やがて満足したのか口を離してふうと大きく息をついた。
「……国舘は?」
遠慮がちに訪ねたのは切原だった。勿論、この疑問は唯も柳生も仁王が保健室へと姿を見せた瞬間に抱いていたものでもある。
あぁと今更思い出したような反応を見せた仁王は、ここに来て初めて口を開いた。
「帰った」
「は?」
そう言って欠伸を漏らした仁王は、素っ頓狂な声を上げた切原にはお構いなしにぐっと伸び上がった。
眠たそうに目をしきりに擦りながら、彼はぼんやりとした目で天井を見上げていた。