カレイドスコーピオ

インビジブル

06.嘘つきの代償 / 11

 の耳に押し当てた携帯電話から聞こえてくるのは、途切れ途切れに響く発信音だった。
 電波があまり良くないため、このまま圏外アナウンスに切り替わるか、もしくはいつ切れてもおかしくない状況に、彼女は緊張しながらその音を聴いていた。
 携帯電話のディスプレイには、発信中の文字の下に『・ソ蛻・次襍、荵・』と相変わらず文字化けしたままの表示が浮かんでいる。

(繋がった……!)

 唐突にトゥルルルルという呼び出し音に変わる。先程と比べると電波が安定したのか、今度はしっかりとした機械音にの心臓がどきりと跳ねた。
 この通話が誰に繋がるかなど全く分からない。人ならざるものに繋がるかもしれないし、どちらかと言えばその可能性の方がずっと高かった。
 早鐘を打つ心臓に比例して、緊張から来る喉の渇きが口内に広がっていく。
 は汗の滲む手の平から携帯電話を取り落とさないようにもう片方の手も添えながら、僅かな変化も聴き逃さまいとじっと耳を傾けていた。
 良くも悪くも彼女の期待を乗せた呼び出し音は、一向に相手に繋がる様子はない。それでも彼女は、この電話を切る気にはどうしてもなれなかった。
 仮に繋がったとしても、今自分が置かれている状況をありのまま伝えたところで、相手に信じてもらうのはまず無理な話だろう。
 それでも、少しでも相手にこちらが危険な状態に置かれていると伝えることが出来れば、ちょっとした騒ぎに持っていけるかもしれない。
 そして運良く仁王の耳にこのことが入ってくれれば、きっと事態は好転する。
 そう考えていたの思考をまるで断ち切るかのように、通話は繋がった。
 自分で期待をしておきながら、こうしていざ現実化すると、思いのほか動揺してしまうものなのかと、今までにないほどの心臓は早鐘を打ち鳴らしていた。
 その反面、絞り出そうとした自身の声が喉の深いところで引っかかったまま出てこない。彼女の口の中は、すっかりからからに乾ききっていた。
 何かしら言葉を紡がないと、相手は早々に通話を切ってしまうだろう。

「……もしもし」

 が躊躇している内に、通話の先にいる人物が声を上げた。
 男性の、それも強い苛立ちを含ませる声色に、彼女は相手が人ならざるものではなかったことに安堵するどころか、むしろ思ってもみなかった最悪の展開になってしまったと、今度は自分の意志で声を発せなくなってしまった。

「アンタ。誰だよ」

 益々怒気を孕んだ声を聞いて、は一瞬抱いたそれが、自分の単なる思い違いでなかったことに、思わず携帯電話を取り落としそうになった。
 彼女の頭の中で、繰り返し彼に初めて出会った場面が再生される。

「何か言えよ。毎回毎回、非通知でかけて来やがって、マジ気持ち悪ぃ。ふざけんなよ!」

 耳にぴったりとつけた携帯電話を十cmほど遠ざけても、じんと耳の奥に余韻を残す彼の声に、は益々言葉を失う。

「どうしたんだよ? 切原。急にでかい声出して。驚くだろ」

 の最悪の予想に釘を打つ形で、別な声が重なった。やや遠くに響く声だが、彼女にはそれもどこか聞き覚えがあった。
 切原が国舘とその名を呟いたことで、の脳裏にはその少年の像が結ばれていく。

「ほら、あれだよ。言ったじゃん。非通知の無言電話。またかかってきたし、こんな時にうざってーから、本気で文句言ってやろうと思って」

 マジ迷惑だっつーのと吐き捨てるような切原の声に、は決して自分のせいではないはずなのに、申し訳なく感じながら二人の会話を黙って聞いていた。

「……なぁ、切原。おかしいだろ。それ……」
「あ? 何がだよ」

 に届く国舘の声量がワントーン小さくなった。
 かろうじて聞き取れるほどの会話に、は再び携帯電話を耳に押し付ける。

「それ、非通知なんだろ?」
「あ、あぁ。それがどうしたんだよ」
「だってお前、さっき非通知拒否の設定確認してたじゃん。それ、まだそんなに古くない機種だろ? なんで、非通知の電話に普通に出れてんだよ」
「……あ」

 言うなり切原が黙り込んだ。
 今のには彼の顔が見えずとも、どんな表情を浮かべているのか容易に予想出来る。

「なぁ、切原。その電話おかしいって。さっきのこともあるし、切った方良くねぇか?」

 微かに漏れ聞こえた言葉に、は全身を強張らせた。
 この通話が切れたら、次に再び切原と通話が繋がるとは到底思えなかった。
 切原の雰囲気では、間違いなくあと僅かな判断で、通話が切られてしまうだろう。

「待って。切らないで!」

 がはっと気付いた時には、切原に向かって必死にそう叫んでいた。
 向こう側にいる切原は動きをぴたりと止める。
 すぐに口を噤んだだったが、彼女の脳裏には訝しげに眉間に皺を寄せた彼の姿がはっきりと浮かんでいた。

2012/09/02 Up