
「もう閉室の時間ですね。場所を変えましょう。本はこの三冊で大丈夫でしょうか?」
柳生は拾い上げた本の題名を確認し、課題のレポート用ですねと付け足した。
彼女はこくりと頷いて、柳生より本を受け取ろうと腕を僅かに伸ばしたが、柳生は穏やかな声で持ちますとさらりと返す。だが、その口元は若干ぎこちない笑みを象っていた。
本当は、この場で今すぐにでも彼女に尋ねたいことが沢山あるのだろう。それでも柳生なりに遵守すべき優先順位があるようで、彼の懇意をここで無下にすることなど、唯には到底出来るはずもなかった。
結局、余計なことを口走るのだけは避けないとと、彼女は自分に言い聞かせて、先を歩く柳生の後ろを大人しくついていくことにした。
「突然声をかけてしまって、本当に申し訳ございません」
教室に入ってすぐに適当に席を見繕って腰を下ろした唯に向かって、柳生は頭を深々と下げた。つられるように彼女も思わず同じ行動を取る。
傍から見たら少々滑稽な光景に見えたかもしれないが、当の唯本人は、図書室からここに移動してくるまでの間、ずっと緊張したまま気が気でない状態だった。
二人は今、三年A組の教室内で対峙していた。
唯の教室である三年B組を柳生が選択しなかったのは、万が一にも仁王が姿を表す可能性を予想してのことだろう。
彼の口ぶりからは、今のところ仁王が霊を祓っていた光景を直接見たわけではなさそうだったが、唯に焦点を絞ってきた以上、これから何を言われるか分からない。
三年A組に来るまでの間、唯の頭の中では、これまで仁王と話をした様々な場面が目まぐるしく駆け巡っていた。だが、こうしていよいよ柳生と顔を突き合わせるところまで事態が進んでも、彼女には柳生が指摘してくるであろう唯と仁王の関係性を示した決定的な場面を絞り込むことが出来なかった。
探るように柳生へ視線を向けたところで、彼女は彼に対する違和感を唐突に覚えた。今の時間帯はテニス部も部活中のはずだが、彼は制服姿のままだったのだ。
仁王はともかくとして、少なくとも柳生は、口調に然り仕草に然り、生真面目な模範生そのものの雰囲気をこれまた丁寧に着込んでいる印象を受ける。
そういえば、彼は仁王が部活を抜けていることに感づいている一人だと話していたはずだ。そんな柳生が、唯の所属する美術部のように個人活動ではなく、団体活動に重きを置くテニス部を安易な私用を理由に休むとは到底思えなかった。
もしかすると、この柳生は彼女が連想するテニス部の柳生ではなく、全くの他人なのかもしれない。
そんなことを考えている彼女の心境が表情にまで出ていたのか、柳生が結んだままの口元を和らげた。
「今日は、こちらの部は休みですので、どうぞご安心下さい。勿論、だからと言って無川さんの活動に差支えがないよう、お時間は取らせないつもりです」
やたらと落ち着き払っている柳生の言葉に、彼女は慌ててはいと答えて、彼から無理矢理目を逸らした。
最近こそ、仁王とはまともに話が出来るようになったが、やはり相手が良く知らない人間となれば話は別だ。自分の悪い癖がどうしても前面にこうして出てしまう。
これでは、いかにも何かを知ってると相手に期待させてしまうかもしれない。だが彼女は、この通りどうしても彼の顔を直接見ることは出来なかった。
「あの、柳生くん。何か勘違いされてるみたいなんですが、私、仁王くんのこと良く知らないです」
こうなってしまうと、彼女に残された手段は、言葉の意味に効果は期待出来なくとも、せめて先手を取ることくらいだけだった。
柳生は彼女の言葉を聞いて、何かを考え込むように自身の顎に手を添える。
「……そうですか。貴女なら、何かご存知かと思ったんですが……」
そろそろかと唯はぎゅっと両手を握りしめた。
柳生が次に口にするであろう内容は、彼が推測する唯と仁王の関係性についてだろう。
それがどのような内容であっても、出来るだけ自然に否定しなければならない。
中々次の言葉を紡がない柳生にどうしたのだろうかと思いつつ、彼女はやはり彼の顔を見ることが出来なかった。
一方の柳生は、今自分が思っていることをそのまま口にするか否か迷っているように唇を震わせていたが、やがて放たれた彼の言葉は、唯の呼吸を縛り付けてせき止めてしまうほどに衝撃を与えるものだった。
「先日、仁王くんの家に入っていく貴女を偶然お見かけして、てっきり、その、失礼ながら、お二人は親しい間柄なのかと思ってしまいまして……」