カレイドスコーピオ

インビジブル

06.嘘つきの代償 / 4

 は本棚に張られたインデックスを頼りに本を取り出すと、ぱらぱらとページを捲って参考になりそうか否か見極めてから、すぐにその本を棚に戻した。
 既に二冊ほど借りる目星を付けてはいたが、出来ればもう一冊は欲しいところだ。彼女はしきりに視線を左右に泳がせて本の背表紙に目を凝らす。
 提出期限に大分余裕はあるにしろ、随分と面倒な課題を出されたものだと、三度候補から外れた本を棚に戻しつつ、すぐさま次の本に手をかけた。
 中々ぴんとくるような本は見つからず、これで最後と適当に掴んだ本を捲れば、それには彼女が待ち望んでいた内容が記載されていた。
 よしと一人ごちたところで、貸出手続きの終了十五分前を伝えるアナウンスが彼女の耳に届く。
 もうそんな時間になっていたのかと、慌てて残りの本を棚へと戻し、本を抱え直そうとしたところで、一番上に重ねていた本が滑り落ちた。ばさりとページが擦れる音を響かせながら、本は床に広がり、そのはずみで本の最後のページに挿入されていた貸出用の記入カードが飛び出して、フローリングの床を滑走した。
 慌てて本を拾い上げ、ページが折れていないことを確認してから貸出カードへ視線を向けたところで、そのカードの上へ人型の影が落ちているのが彼女の目に留まる。
 そして影の主にカードが拾い上げられる。そのままその動きに沿うように彼女が視線を上げれば、相手は軽く会釈をしながら手にしたカードをに差し出してきた。

「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」

 カードを受け取りながらもぺこりと頭を下げる。
 どこかで見たような気がするが、相手の名前が咄嗟にはどうしても思い出せなかった。
 角度や照明のせいなのか分からないが、その眼鏡の奥の表情がどうなっているのか全く窺い知れない。
 カードを受け取ってもなお、相手はその場を動こうとしなかった。それどころか、じっと自分のことを見られている気がして、はもう一度軽く会釈をすると、今度こそ本を取り落とさないよう注意しながら彼の隣を抜けるべく一歩踏み出した。

「あの、すみません!」

 彼と並んだ瞬間、慌てたようにを引き留める声が響き渡る。反射的に足を止めた彼女が振り返ると、彼はもう一度小さくすみませんと口にした。

「な、何でしょうか?」

 相変わらず自分でも情けなくなるような、あからさまに動揺した声だと思いながら、それでも彼の顔を見上げる。何度思い返してみても話した記憶など全くなかった。

無川さん……ですよね?」
「え? あ、はい。えぇと……」
「失礼。私は、三年A組の柳生比呂士と申します」

 柳生という言葉にはすぐにぴくりと反応した。
 下の名前は知らないが、確かテニス部のレギュラーに柳生という人物がいたはずだ。人相にはやはりぴんと来ないが、自分が知らない人間から話しかけられるとしたら、仁王繋がりとしか考えられない。
 やけに腰が低い物言いをする相手を前に、の頭は真っ白になった。テニス部の人間とは出来るだけ関わらないという仁王と交わした約束が駆け巡る。

「あ、あの」

 すみませんと突然頭を深く下げたに、柳生が一瞬ひゅっと息を飲んだのが彼女にもはっきりと伝わってきた。
 声をかけられただけで挙動不審になり、尚且ついきなりこんな風に謝れば無理もないだろうと思いつつ、彼女はいかにして穏便にかつ素早く彼の前から消える方法を考えていた。
 そのまま顔を伏せて走り去ろうとする彼女の腕を、いよいよ柳生の手が掴む。
 はずみで彼女が持っていた三冊全ての本が床へと投げ出され、ばさばさという音が通路にやけに大きく木霊した。

「も、申し訳ございません」

 彼女に手を伸ばしたのは、柳生自身にとっても予想外の行動だったのだろう。慌てて謝罪の言葉を口にすると、の腕を掴んでいた手を離して足元に散らばった本を拾い始めた。も拾おうと姿勢を崩したところで、彼がやんわりとそれを制す。

「失礼を承知でお伺いします」

 最後の一冊を掴んだまま、柳生が落ち着き払った声を上げる。
 彼はしゃがみ込んだ姿勢で手元の本に視線を落としており、相変わらずの位置からは、彼が一体どんな表情をしているのか分からない。

「貴女と同じクラスの仁王雅治くんについてなのですが、彼の様子に最近少し違和感を覚えていまして、無川さん、何かご存じではないでしょうか?」

 柳生の言葉が終わるのと同時に、再び貸出終了についての警告アナウンスが響き渡った。
 彼は、その声にあぁと独り言のように呟くと、最後の本を今度こそ二冊の上に重ねて立ち上がる。
 よりも背の高い柳生の表情は、やはり彼女からは分からないままだった。

2012/08/17 Up