カレイドスコーピオ

インビジブル

06.嘘つきの代償 / 6

 携帯電話に順調に打ち込込まれ次々に並んでいく文字は、ある程度の長さになるとその動きをぴたりと止める。
 やがて、その内の何文字かが迷うように打ち直されたかと思うと、今度は唐突に全てが消されてしまった。
 空欄になった本文には、カーソルだけが点滅している。
 彼女は、もう既にこの動作を両手の指で足りないほど繰り返していた。
 それからしばらくして、ようやく完成したかと思われた本文を見返していた彼女は、あーと困ったような唸り声を上げる。
 結局、たっぷりと時間を注いで作ったメールは送信されることなく、彼女はゴミ箱のアイコンを押した。

(まずい。絶対にまずい。どうしよう……)

 ベッドの上にうつ伏せになりながら、何度目か分からない新規作成の項目にカーソルを合わせキーを押す。
 そのまま未入力の項目を見つめていたが、諦めたように携帯電話を閉じると彼女はベッドの上にそれを放り投げた。
 仰向けになって天井を仰ぐ彼女は、やがて両手で顔を覆う。そのままごろりと横に転がれば、の愛猫であるネロが、お気に入りの場所の一つであるベッドの一角で丸くなっていた。
 彼女の様子にも全く意に介さないようで、彼の瞳はじっと閉じられている。定期的に上下する背中を見ておもむろにが一撫ですると、ネロの耳がぴくりと動いた。
 柳生の思ってもみなかった一言をきっかけにしてからというもの、の受け答えは酷い有様だった。
 最早取り繕うどこではなく、柳生でなくとも彼女の発する言葉の全てが不自然過ぎるのは一目瞭然で、それでも彼女は、必死に知らぬ存ぜぬで話を貫き通し、一方の柳生はその度に言葉を変えて似たような質問を繰り返した。
 ところが、そんな不毛とも取れる応酬がしばらく続いていた折に、急に柳生の方が身を引いたのだ。そしてやはり丁重に謝罪の言葉を口にしたことで、にとっても思いがけない形で終止符が打たれることになった。
 柳生と別れ、ふらふらとした足取りで美術室へ来たものの、もはや絵など描く気力など微塵も湧かず、結局はそのまま帰宅の途につき今に至る。
 仁王は、自身の持つある意味裏の顔を他人に知られることを嫌がっていた。
 彼と親しいと思われるテニス部のレギュラーたちにすらひた隠しにしているらしく、彼はそれを知られることにある種の恐れを抱いているようにも感じられた。
 よりによって、そのレギュラーの一人に知られてしまったという事実は、をこれまでになく酷く動揺させていた。
 柳生の本音は、今までも仁王がこっそり部活を抜け出すことはそう珍しくなかったが、ここ最近になって顕著になってきていたため、何かあったのかと気がかりだったいうところにあるようだった。
 仁王の行動の目的は考えるまでもない。こっくりさん騒動の犯人と彼が推測しているジョーカーについて調べていたのだろう。

「やっぱり、柳生くんのこと、仁王くんにちゃんと話さないと駄目だよね」

 その事実を仁王に伝えた瞬間に見せるであろう彼の反応を考えただけで、途方もなく気持ちが重くなっていく。
 きっと酷く怒るに違いない。もしかすると、それだけではすまないかもしれない。
 やがて母親が部屋に呼びに来るまで、彼女はベッドに顔を埋めたままそんなことばかりを考えていた。

 結局のところ、あれから仁王へとメールを打てずに朝を迎えてしまった。
 夢も全く見なかったため、眠ったのか眠っていないのかすら良く分からないまま、気付いたら朝になっていた。
 窓を締め忘れて眠ってしまったらしく、吹き込む風がカーテンを波打たせている。窓の先から響く鳥の声が、普段よりもはっきりと聞こえてきた。まったくもって爽やかな朝と呼ぶにふさわしい光景が広がっている。
 気怠さの残る身体を起こして、少しの間ぼんやりとしながら、やがて彼女の頭が冴えてきた頃、ははっとして枕元の携帯電話を拾い上げた。
 真っ暗だったディスプレイに明かりが灯る。そこに仁王の名前が表示されていないことにひとまず安心した。
 登校中もの頭を占めていたのは、仁王への話の切り出し方と弁明ばかりで、のろのろとクラスの中に足を踏み入れた時は、彼は朝練に出ているため少なくとも今は顔を合わせることはないにしろ、緊張からいよいよ胃がきりきり悲鳴を上げたほどだった。
 席に着いて、鞄から取り出した教科書を机の中に差し入れた瞬間、かさと微かな音ともに彼女の手に何かが触れた。
 諦めと覚悟の入り混じった重苦しい感情が全身を回る中、彼女は二つに折り畳まれたノートの切れ端を引き出した。

――放課後、空き教室で。話がある。

 彼らしい短い文面をは繰り返し目で辿る。
 頭がその文字列を理解する度に、仁王がと柳生とのやりとりについて感づいたのだと、根拠のない確信を彼女に抱かせた。

2012/08/19 Up