
目の前のプラスチックカードを穴が開く勢いで見つめながら唇を震わせていた唯は、ようやく絞り出すようなか細い声を上げる。
屋上の時には良く見えなかったが、白いテーブルの上にこうして置かれたことで、今はカードの全貌がはっきりと見て取れた。
ただの透明なカードかと思われていたそれは、トレーディングカードの保存などに使われるハードタイプのカードスリーブだった。
そして中央には、円状に渦を巻いた黒い糸のようなものが挟み込まれている。彼女が目を凝らしてみれば、その黒いものは、四本の糸を緩く編んで一本に仕上げてあった。
それらを認識した瞬間、唯はこれが糸ではなく、全く別なものであることに気が付いた。
「あ……これ、わ、私の、髪……!」
答えの代わりにと、仁王がまるであの時の再現と言わんばかりにカードを人差し指と中指で挟むように持ち上げれば、唯の身体は表情と同様に酷く強張った。
あの自分の身体の一切が言う事を聞かなくなる感覚が、今度は錯覚となってまるで寒気が全身に回るように唯を駆け巡っていく。
にやと笑う彼の様子に、ごくりと彼女の喉が鳴り、グラスを握り締めた冷えた手の平にじわりと嫌な汗が浮いた。
「オーバーじゃのう。ホントにお前さんは見てて飽きないぜよ」
口をぱくぱくさせる唯を見て、仁王は益々楽しそうに唇を釣り上げた。
そのままカードを元のように机の上に置けば、唯の緊張も一気に解けていく。
「そう、これはあの時、お前さんから貰った髪じゃ。安心しんしゃい。悪いようには使わんぜよ……多分」
「た、多分!?」
「ピヨ」
顔面が蒼白になっている彼女をよそに、仁王は相変わらず彼なりに会話を楽しんでいるようだった。
急に生きた心地がしなくなった唯は、いよいよ紅茶の残りを全て飲み干した。
かちゃんとグラスの底に叩きつけられる氷は、まるで彼女そのものだった。
「そしてこっちが……」
そう言って彼は、もう何度も見た折り方をした包みを出すと、それを開いて手の平に置いた。
唯の予想通り、くるくると丸まった黒く髪の毛が紙の隙間から顔を出している。
「この髪が誰のか気になっとったんじゃろ? 種明かしじゃ。これは俺のぜよ」
「えっ?」
「俺の髪に脈を注いだ憑代じゃ。但しこれは呪術目的に作っとらん。霊的な攻撃を受けた時に反応するように予め脈を入れとる」
仁王の白妙の髪と、彼の手元の黒い髪とをしきりに視線を泳がせている唯に、彼は包みごと髪を差し出したが、一向に受け取る様子が見られない彼女に対して、仁王は無言で威圧をかければ、恐る恐るといった様子で彼女はそれを手に乗せる。
「脈や憑代の使い道は、何も呪術だけじゃないぜよ。色々と汎用が利く。髪の色はカモフラージュじゃ。この色じゃ目立つからのう」
「あ、なるほど……あの、やっぱり、私が身を護る方法って、結局」
「こいつの得体が知れんから、余計に気味が悪かったんじゃろ。これで少しはお前さんの罪悪感が消えたかのう?」
「それって、まさか……」
「とりあえず、しばらくはこれを使って自分の身は護ってもらうぜよ」
「……やっぱり」
力無く肩を落とした唯の反応に、仁王の肩眉がぴくりと動く。
「意外と面白くない反応じゃのう。もっと狼狽えるかと思っとったぜよ」
「何となく、こうなるって初めから予想してました」
「ほー、何でそう思ったぜよ」
うーんと小さく唸って、唯は自身の手の平をじっと見つめた。
グラスの中の氷は例によって小さくなっていた。冷え切った指先が、徐々にその熱を取り戻していき、くすぐったいようなぴりぴりとした感覚が走る。
「私、ただ霊が見えるだけだから、どんなに考えてみても仁王くんみたいに霊を祓ってる自分が想像出来ないんです。だから、話を聞こうが聞かまいが、どっちにしたって仁王くんの助けが必要になるんだろうなって。でも、あの……仁王くんだって、いつまでも助けてくれるとは、その、分からないし。だったら、少しくらい危険だったとしても、自分で自分を護る方法を見つけたほうが良いのかなって思ったんです……まさかこんなに大変な話になるとは、さすがに思ってませんでしたけど」
徐々に言葉尻が弱弱しくなっていく唯の話を黙って聞いていた仁王は、彼女が話し終えたあとも少しの間、じっと黙っていた。
彼女が恐々と彼の様子を伺えば、納得したかのように僅かに頷いた。
「まぁ、お前さんにしては賢明な判断じゃな。そうと決めたなら話は早い。自分の身を護れるようになるには、そこそこの時間がかかるぜよ。それまでは、絶対にこれを手放すな。相手に気を許すなんてもっての他じゃ」
「あの、自分で身を護るようにって、具体的にどうするんですか」
「それは後々教える」
仁王に口早に言い切られてしまったので、唯はそれ以上聞くことが出来ず口を閉ざした。
「さっき、もしまた狙われたら面倒じゃとは言ったが、あれは嘘じゃ。近い内にお前さんはきっとまた狙われる」
「え?」
唐突にもたらされた予想もしていなかった仁王のその言葉に、唯の心臓がどくりと高鳴る。
無意識に彼女は、手中の仁王の髪の存在を確かめていた。