カレイドスコーピオ

インビジブル

05.憑代 / 5

「そもそも人が霊を呪うってシチュエーションが、ちょっと思いつかないです。あ、でも霊に自分や家族が酷い目に遭わされたら呪いたくはなるかもしれません」

 真剣な顔でそう答えたが、そっと仁王へと視線を向けると、仁王は再びグラスに視線を落としていた。
 すっかり角が丸みを帯びてきた氷が、再びグラスの中で小さな音を立てる。

「仮に人が霊を呪ったとして、お前さんならどんな呪いをかけるんじゃ」
「二度と近づかないで欲しいとか、消えて欲しいとかでしょうか」
「それは、お前さんがさっき俺に聞いた、霊を祓うと言うのと一体何が違うのかのう」
「う、うーん……」

 相変わらず仁王との会話は、やたらと頭を使わされる。は答える代わりにグラスに入れたままのスプーンで紅茶をかき混ぜた。
 その動きに沿って氷もくるくると彼女の思考と同様に回転し、涼しげな音だけを奏でていく。

「結論から言うと、直接は無理じゃ。生者を呪うことが出来るのは、生者だけ。死者なら同じく死者だけぜよ」
「え? ちょっと待って下さい。それっておかしくないですか?」

 仁王の言葉にはすぐさま疑問の声を上げた。
 それでも、グラスから引き剥がされた仁王の瞳と合った瞬間、思わず彼女の声は尻すぼみになる。

「あの、じゃあ一体霊はどうやって人を呪うんですか」
「……鋭いのう。それを理解するには、もう少し別に面倒な話をする必要があるぜよ」

 ついて来れとるかと仁王に聞かれ、はまだ何とかと、かろうじて返事を返した。

「死んだ人間が、恨みの有無に関わらず、必ずしも死後ここに留まるとは限らない。ただし『自分が死んだことに気付かない人間』と『強い恨みを持って死んだ人間』は、通常よりもずっと留まり易くなる。そして、特に後者の場合が面倒じゃ。死んだことに気づかない状況と言ったら、理不尽な突然の事故か殺されるか大体がそんなところじゃろ。そういったマイナスの感情というのは性質が悪い。そいつからは、死んだ直後から自身が抱く恨みに対する思い、すなわち脈を放ち続けることになる。が、それを結びつけるための憑代がそもそもない」
「憑代がないって、どうしてですか?」
「憑代は、硬貨に然り、藁人形に然り、何かしらの質量を伴った無生物でないとならないからぜよ。霊は、物に直接触れれんじゃろ。だから、脈も本来の拠りどころがない。放っておいてもその内に脈を出し切って消えるのが関の山ぜよ。それじゃ本末転倒じゃ。だから、折角の脈を活用するために奴らは、霊にしか出来ない行動に出る。人に憑りつくことぜよ。が、同じ質量のあるものでも、人は生物じゃから憑りついたところで憑代には原則なれん。それでも憑りつかれた側は、本来自分の中に存在するはずのない他者の脈を帯びることになる。勿論、相性は最悪じゃ。影響を多少なりとも受けて、体調や精神に異常が現れる。そして、最悪の場合は死ぬ。これが憑り殺されるということじゃき。一見すれば、これも呪いの一つに見えるかもしれん。でも、呪いの定義としてあるのは、さっきから言っとる通り、見立てに則る必要がある。だからこれは厳密には呪いじゃない。ただの憑依じゃ」

 仁王が初めて紅茶を口に運ぶ。
 氷が溶けて幾らか飲みやすくなったのか、更に彼は二口ほど続けて飲み込んだ。

「但し、憑依以外を選択する場合もある。余程の強い恨みを持った霊、怨霊とか呼ばれるものじゃな。そいつらは、自身の中に逆巻く脈を本来は出来ない憑代にすることで、最終的に怨霊化するぜよ。その方法が分かるか?」
「わ、分かりません」
「自分自身じゃ。質量を持った無生物ではないが、生物でもない。そもそも霊の存在は定義があっても、人がそれを証明することなんて誰にも出来ないぜよ。少なくとも、霊にとって唯一、自分に接点があるものが、自分自身の存在そのもの以外にはもうないからのう。だから行き場を失った脈を己に注ぐことで、存在そのものを憑代に変えるんじゃ。だが、それだけじゃ映し自体の力は弱い。憑代になるために脈を消費してしまっとるから、兆はおろか、映しに至るための原動力となる脈が圧倒的に足りなくとっとるぜよ。だから憑代の役目として、とにかく脈を欲しがる。そして、その欲求は生者のみならず、死者にも向けられ、近づいた者を誰彼構わずに自分に引きずり込むんじゃ。この段階が重要ぜよ。霊自身は、引きずり込んだ相手個人に対する恨みは持っとらんが、引きずり込まれた側の中には、無意識下でもその怨霊に対して、瞬発的に恨みの念を持つ者がいるはずじゃ。奇しくも怨霊は、その脈を糧に映しに移行するわけじゃが、その脈の性質には死者は勿論、生者も含まれる。取り込んだ対象が死んだとしても、それが、取り込まれた直後に起きたことならその脈の性質は生者のまま変わらない。結果として、怨霊自身が生者、死者どちらの脈も宿していることになる。だから人も霊も呪うことが出来る。まぁ、本来の見立ての手順を無視しとるから、この頃には憑代化した霊そのものの存在は、既に酷く歪んどる。もう本来の兆へ至ることは不可能じゃき。だから、呪いというより最早祟りと呼んだ方が適切かもしれんのう。そして、延々と悪循環を繰り返す。前に言ったじゃろ。『本来は思念の主体であるはずの自分自身が、逆にその思念に囚われる』つまりはそういう事ぜよ」

 仁王は一旦そこで話を中断した。
 気づけば、も仁王のもグラスの氷は大分溶けて、紅茶の色も比例して薄くなっている。
 淹れ直してくるから、その間に頭を整理しんしゃいと言い残し、仁王はグラスを手に再びリビングから姿を消した。

2012/07/28 Up