カレイドスコーピオ

インビジブル

05.憑代 / 2

 放物線を描いて飛んできたものを、は思わず両手で受け止めてしまっていた。
 そっと開いてみれば、先程まで仁王が遊んでいたあの薄紙に包まれた十円玉だ。
 硬貨を包む薄紙は、遠目でこそ何回か目にしていたが、こうしてまじまじと見るのは初めてだった。
 書かれていたのは、漢字でもなければ英字でもなく、見たこともない文字の羅列で、当然ながらの理解出来る内容ではない。殆どが黒色で書かれている中、硬貨の丁度中央辺りの極小の文字だけが赤色を帯びていた。
 受け取ったものの、この硬貨をどうしたら良いのか迷っているの前に、仁王の手の平が差し出される。そのまま手渡せば、彼はまた同じように硬貨を手の中で転がし始めた。

「これ以上、余計なことは何も知らずに身を守る方法だけを知るか、あるいはその逆じゃ。いずれにせよ、お前さんはもう少し自己防衛のやり方を身に着けんと、この先が辛くなる。どっちを選ぶかはお前さん次第じゃが……俺はこれ以上、足を踏み入れるのは勧めないぜよ。もしも一時の好奇心が勝っとるなら尚更じゃき」

 知らない方が、かえって幸せなこともあるぜよと彼は言葉を締めた。
 仁王のこの提案は、にとっては予想外のことに他ならず、それと同時に、彼の氷にも似た感情を僅かにでも融解させる切っ掛けを作ったあの十円玉に、どれだけ重大が意味が込められているのだろうかという疑問を彼女に抱かせる。
 は迷ったようにしばし口を戦慄かせたが、やがて意を決して口を開いた。

「どうして、今になって私に色々話をする気になったんですか? 仁王くん、これまで、その、あんまりそういうの話したがらないように見えたから」
「必要になったからじゃ。それに、あの生徒の霊と接触した時にお前さんを通して、相手に俺のことが多少なりとも知られた可能性があるからのう。余計な話が広がって、万一でも俺が学校で爪弾きになったら、それこそお前さんを恨むぜよ」

 彼女も何となく予想はしていたが、どこまでも仁王らしい答えに清々しさすら感じて、は思わず小さく笑い声を上げた。
 仁王はもれなく彼女の反応を好意的ではない方向に受け止めたらしく、眉を顰めてそんな様子を眺めていた。

「知らないことと、知ること。やっぱり違いはありますか?」
「こういうことに限らず、どんなことでも知識は、言わばその人自身の世界を広げる切っ掛けを作るぜよ」
「世界を広げる?」
「あぁ、今のお前さんは霊についての余計な知識が一切ない。だからお前さんを取り巻く気は、霊が見える前から全く変わっとらん。だから霊が見えて、声も聞こえとるが、霊にとっては、少し霊感がある人間としか映らんから、そこまで魅力のある対象ではないんじゃ。勿論、中にはそんなことお構いなしに縋ったり、お前さんみたいな存在をカモにするのを得意にしとる輩もいるがのう。だから、対処法さえ遵守しとれば、そんなに面倒なことにはならんぜよ。反対に相応の知識を得れば、多少なりともお前さんの気は影響を受けて、場合によっては性質そのものが変わることもある。勿論、深層心理下でも大きく影響は受けるぜよ。そうなれば、霊との距離はこれ以上に近くなる。霊に対する対処はし易くなるが、相手にとってもそういう人間はより魅力的に見えるというわけじゃ」

 一息に続けられた仁王の言葉に、はただ目を丸くしていた。
 彼はその反応を予め想定していたのか、先程の彼女と同じように笑った。

「突然こんな話をされれば、お前さんの反応ももっともじゃ。どっちを選んでも一長一短だが、さっきも言ったように、俺は知ることを勧めん。今のお前さんが見る世界のままでも、俺の言う通りにしておれば、何も問題ないからのう」
「何かもう色々と、本当にごめんなさい」
「こんなんで、いちいち謝るな。お前さん、丸井も言っとったが、それ直した方が良いぜよ」
「うっ、ごめんなさい」
「……」
「す、すみま……」
「……とりあえず、どうするんじゃ?」

 呆れたように仁王はを一瞥すると、額に手を翳しながら高く日の登った空を見上げて、今日は暑いのうと呟いた。
 もつられて視線を上げる。仁王の言う通り、ここは屋上で日除けがなく日の光が直接降り注いでくるため、思ったよりも暑い。

「いつまでに答え出さなきゃいけないですか」
「今、ここで決めんしゃい。下手に時間を空ければ迷いが出るし、何よりその間にまた変なもんに憑かれたら意味がないぜよ」

 仁王にが視線を戻せば、いつになく真剣な瞳と視線が絡んだ。
 彼女はひっそりと抱えていた疑問を今こそ放つべきだと、仁王の目を見据えて口を開く。

「一つ聞きます。仁王くんは、その、これからも霊をさっきみたいに祓うんですか」
「相手が、自分に敵意を向けるなら当然じゃ」

 そっかと囁くように返事を返したを仁王は黙って見ていた。
 彼女の伏せられた目元に影を落とす睫毛が、ほんの僅かに震えている。やがて瞳を開いたは、一呼吸を置いてからゆっくりと仁王に向き直った。

2012/07/20 Up