
仁王が唯の家を訪れてから更に二日経って、ようやく彼女は学校に姿を見せた。
五日間も欠席をしていた唯の存在を、気に留めるようなクラスメートは、相変わらずいないと思われたが、ただ一人仁王だけは、朝練を終えて丸井と共に教室に入ってきた瞬間、彼女の姿を見るなり険しい表情を浮かべた。
唯は、これまでと同じように机に伏せていた。彼女の髪が、なだらかな頬を伝って机の上までさらりと流れており、その表情は窺い知ることは出来ない。
HRが始まってもなお、しばらく唯は机に顔を伏せたままだった。
ようやく顔を上げたかと思えば、傍目に見てもその顔色は青白く、体調が優れない様子は明らかで、結局、一時限目の授業が終わってから二限、三限目と彼女は保健室にお世話になり、四限目になって戻ってきたものの、やはり青い顔のままだった。
さすがに見かねた教師が、早退しても良いと声をかけるが、彼女はもう少しだからと授業に出ることを切望した。
(……あ)
教科書を取り出そうと、机の中に手を入れた唯の指先に何かが触れた。取り出す前からそれに心当たりのある彼女は、誰にも見られないよう、手の中に包み込んでからゆっくりと手を引く。
すっぽりと手の平に収まったそれを、机に伏せるふりをして身体で隠しながら開いた。
――四限終了後、屋上。
それだけが簡潔に書かれたノートの切れ端に差出人の名前はない。
だが、それが誰からの呼び出しであるかは、彼女は知っていた。
この日は偶然にも振替の関係で授業が午前中で終了となり、合わせて全部活動も休部となったため、四時限目の授業が終了してからは、生徒たちの姿はあっという間に校内から消えていった。
そんな中で仁王は、一人屋上にある庭園に置かれたウッドベンチの上に腰を下ろしていた。
緑化委員でもあるチームメイトの意見が細部にまで反映されたこの庭園は、小さいながらも季節によって全く異なる表情を見せると好評で、特に女生徒からの評価が高い場所だ。
綺麗に手入れされた花々を眺めながら、彼は未だ姿を現さない彼女の到着を待っていた。
キィ。
鉄製の扉が軋む微かな音は、仁王しかいない屋上では普段以上に大きく反響した。
「随分と遅かったのう」
扉に手をかけたまま、その場に立ち尽くす少女は何も答えなかった。
扉のせいで、彼女の周辺には仁王がいる場所よりも影が落ちている。そのため、彼女の顔色は益々酷く見え、黒い瞳だけがじっと仁王のことを見つめていた。
「一体どこでそんなもん拾ったんじゃ。この前、お前さんの家に行った時には、気付かなかったぜよ。上手く隠れてたか、隠してたかどっちが正しいんかのう」
唯の左肩に視線を定めながら、仁王は呆れたように声を上げる。
彼女はやはり答えずにゆっくりとした足取りで、彼のいるベンチの側に近づいていった。
影から這い出るように姿を見せた彼女の顔は、相変わらず酷く憔悴している様子だったが、その瞳には不釣り合いなほど強い光を宿している。
「お前さん。面倒なもんにばかり、やたら気に入られるのう」
仁王はいつも通り、何でもない事のような口ぶりで話を続ける。
唯は、流水に白い絵の具を流した跡にも似た雲が所々に浮かぶ空を見上げたかと思うと、ここで初めて、はいと小さくぽつりと漏らした。
「それ、このまま放っておくつもりか?」
「……」
「俺のやった髪はどうしたんじゃ」
「一応、家にちゃんとあります」
「使えば良いじゃろ。それくらいで壊れるほど弱くないぜよ」
仁王の言葉に、唯はいっそう黙り込む。
彼女の肩に添えられた小さな手が、彼の言葉に反応し、僅かに震えるのを見た仁王は、あからさまに顔を顰めた。
「いつからじゃ?」
「え?」
「いつから、こいつらと話をするようになったか聞いとる」
咎める声に彼女はぐっと唇を噛み締めたが、中々答えようとしない。
そんな態度に、苛々した様子を見せ始めた仁王と目を合わせたくないのか唯は視線を落とした。
やがて彼女は、青白い唇を震わせて掠れきった声を上げる。
「私が、学校を休み始めた時からです」
「は、通りでそこまで肥えるわけじゃ」
仁王は鼻で笑う。
唯はそんな彼を一瞬だけ見ると、諦めたように二、三度瞬きをした。
「仁王くん」
「……何じゃ」
「仁王くんなら、こういう時どうします?」
「祓う」
やっぱりと呟いた唯を、仁王は今度こそじろりと睨みつけた。
これまでの彼女なら、彼のその視線だけで蛇に睨まれた蛙のように竦み上がって、しどろもどろになっているはずだ。
だが、今の彼女は不自然だった。
あまりにも反応が薄く、ただぼんやりと自分の足元を見つめるばかりで、まるで心ここに非ずと言った様子だったのだ。