カレイドスコーピオ

インビジブル

04.憑かれた少女 / 10

 扉の先から顔を覗かせたその女性は、目の前に立つ立海生の姿を目にした途端、文字通り目を丸くした。

「こんにちは。無川さんのクラスメートです。三日も休んでるみたいなんで、プリント届けに来ました。あ、あとこのクッキーも一緒に渡して下さい」
「まぁ、それはわざわざご丁寧にありがとう」

 プリントを受け取ってもなお、その女性は驚いたような表情を崩さない。手元と生徒の顔を交互に見返して、女性はやはり、まぁやらあらあらなどと一人で呟いている。
 気まずい雰囲気が二人の間を漂ったところで、生徒の方が先に話を切り出した。

「それじゃ、俺はこれで……」
「あ、待って」

 扉を大きく開け放った女性が、慌てたように彼の背中を引き留める。
 玄関から伸びる石階段を既に数段降りていた彼は、振り返ると軽く首を傾げた。

「あの子、さっき起きてきたから。良かったら上がっていって」

 女性は、どうやら彼のことを娘の友人だと理解したらしく、にこりと笑ってどうぞと手招きをする。女性の顔をしばし見つめた彼は、少し迷った素振りをみせたかと思うと小さく一礼した。

「お言葉に甘えて、お邪魔します」

 彼が玄関を一歩くぐったところで、女性がそう言えば、お名前をまだ伺ってなかったわねと尋ねてきた。
 ふと彼は足を止め、愛想の良い笑顔を彼女に向ける。

「仁王です。無川さんとは、いつも仲良くさせていただいています」

 通されたリビングのソファーに座り紅茶に口を付けながら、仁王は室内をゆっくりと見回した。母親は茶を準備した後、を呼びに二階へ上がっていったばかりだ。

「随分と幸村が好きそうな家じゃのう」

 母親の趣味なのだろうか、部屋の至る所に花鉢や花瓶、一輪挿しなどがインテリアとして置かれている。
 室内だけではなく、石階段の植え込みも花々で綺麗に彩られていた。そして、リビングから見える小さな庭も相当手をかけているようで、小さなガーデニングテーブルの上には、仁王が訪れた直前まで彼女が利用していたのか、スコップやジョーロなどが並んでいた。
 他人の家をじろじろ観察するのは彼自身もどうかと思ったが、物珍しい光景に、湧き上がる好奇心を抑え込むのは難しい。
 次に目についたサイドボードの中にも、植物がモチーフの絵皿が並んでいた。端から順に視線を滑らせれば、その影に隠れるように、写真立てが置かれていることに気が付いた。
 仁王は、もう少し近くで見るべく少し腰を浮かせたが、階段を降りる足音が響いてきたため、再びソファーにその身を沈めた。すぐに扉が開き、ティーポットを乗せたトレイを手に母親が戻ってきた。

「ごめんなさいね。あの子眠っちゃったみたい。また熱もぶり返したみたいで」
「いえ、こちらこそ。ご馳走さまです」

 空になった仁王のティーカップに紅茶を注いで、の母親は彼の向かい側のソファーに腰を下ろした。

「そんなに無川さんの具合、悪いんですか?」
「えぇ、熱が上がったり下がったりを繰り返しているし、食も殆ど進まないみたいで。お医者さまは、疲れから来てるんだろうと仰ってるんだけど」

 頬に手を当て、心配げにため息をついた彼女の姿を仁王はじっと見つめていたが、やがて気まずそうに目を逸らした。適当に床や壁へ視線を泳がせていた彼は、彼女の背後の壁に飾られている絵画に吸い寄せられように目を留めた。

「それね。あの子が描いたの。去年、絵画展で佳作を受賞したのよ」

 仁王の様子に気づいたのか、振り返った彼女はまるで自分のことのように嬉しそうに声を弾ませた。

「小さい頃から、絵を描くのがすごく好きな子でね。今年は中学最後だからって、特に力を入れているみたいなの。確かにここ最近、ずっと絵に集中していたみたいだから、少し疲れちゃったのかもしれないわね」

 彼女が持つカップの中身は一口も付けられていない。それでもおもむろに角砂糖を二つほど放り入れると、ティースプーンでかき混ぜる。かちゃかちゃと音を立てるカップを見つめたまま、彼女は別な話の糸口を探しているようだった。

「ところで、仁王くん。その大きなバックは何かしら?」

 ソファーに凭れかけるように置かれていたテニスバックを見て、彼女が物珍しそうに口を開いた。

「あぁ、テニスバックです。俺、テニス部なんで」
「あら、立海のテニス部といったらすごく有名じゃない。そう言えば、あの子もテニス部のおかげで助かってるなんて言ってたわ」
「助かる、ですか?」
「絵画展が、丁度夏にあるんだけど、それがどうやらテニスの全国大会と同じ時期らしいの。だから、テニス部が全国制覇すると、校内の話題がそれに持ちきりになるから、美術部が入賞しても、その授与式はとても簡潔になるんですって。仁王くんも知っているとは思うけど、ほら、あの子、目立つことをすごく嫌がるでしょう?」

 仁王は曖昧に笑って小さく頷いた。
 それから彼は、適当な話題に適当に相槌を打ちながら、しばらく会話を続けていたが、壁時計に目をやって予定よりも大分時間が過ぎていることに気が付いた。

「俺、そろそろ帰ります。長くお邪魔してすみませんでした。お大事にと伝えて下さい」
「そんなことないわ。お友達が尋ねてくるなんて、ここでは初めてだったから、何だか嬉しくなっちゃって」
「……そうなんですか?」
「仕事の関係で、何度か引っ越しをしているものだから……まぁ、本当にこんな時間ね。私こそ引き留めちゃってごめんなさい」

 彼女もまた時間を確認して、驚いたように声を上げた。
 そして、仁王は軽く頭を下げると、家を後にした。

2012/07/01 Up