
あちゃーと切原が思わず口を零せば、隣の国舘もそれはちょっと、とでも言いたげな顔で、唯と丸井を交互に見る。
慌ててジャッカルは丸井をフォローするような言葉で訂正したが、唯が俯いたまま一向に顔を上げようとしないので、非難を交えた目で丸井を責めた。
「あ、いや。悪ぃ。そういうつもりじゃなくて……」
いよいよ丸井も周囲の気まずい空気に気が付いたのか、頭を掻きながら謝罪の言葉を口にして唯の様子を伺った。
次の瞬間、彼女は徐に顔を上げ、真っ直ぐに丸井を見る。その表情は、彼が予想していたものとは全く真逆で、丸井は思わず口を開いたまま戸惑ったように視線を泳がせた。
そのまま軽く息を吸い込んだ彼女の口が、何事かを紡ぎ出そうとした時だった。
――ガシャン!!
硝子が割れる音と共に、きゃあと甲高い女子の悲鳴や物が散乱する音、そしてぎゃぎゃという聞き慣れない鋭い鳴き声が教室内に響き渡った。
教室内にいたほぼ全員が、突然の来訪者に何が起きたのかと視線を注げば、まず皆が目に留めたのは、床に座り込む数人の少女たちの姿だった。
その中で、たまたまブレザーを脱いでブラウス姿になっていた一人の少女の腕には、割れた衝撃で飛んだ硝子の破片が深々と突き刺さり、彼女のブラウスを赤く染め上げている。他の少女たちにも細かな破片が制服や髪に降り注いでおり、この衝撃的な光景とは裏腹に太陽の光を帯びて、それらはきらきらと眩しいほどに少女たちを彩っていた。
怪我を負った少女は、腕からまるで生えるように突き立てられている硝子片と、次々に溢れ出てくる自身の血液に一瞬にしてパニック状態に陥ってしまっており、ただ痛い痛いと悲痛な声を上げて泣きじゃくっていた。
そして少女たちのすぐ近くには、同じく全身に硝子の破片を纏った黒い塊がもがいている。誰かが鴉だと呟いた。
鴉は最後の力を振り絞るかのように、その場でのた打ち回っていた。歪んだ翼が空気を叩けば、硝子と床が擦れるじゃりという音と、生々しく流れる血、黒い羽根が床に広がっていく。
教室内は一瞬静まり返る。泣き喚く少女たちの声や鴉の鳴き声だけが反響する中、窓枠へ不安定に引っかかっていた大きな硝子片が、自身の重さに耐えきれず床へと落ちる。再び教室中を駆け抜けた硝子が飛び散る音に、せきを切ったように他の生徒たちの悲鳴が上がった。
「硝子なんて、普通突き破れないだろぃ」
驚いた表情を貼りつけた丸井が、ぽつりと呟いた言葉に誰も返事はしなかったが、心中は彼と全く同意見だった。
周囲と同様にその光景を呆然と唯も見つめていたが、ふと自分に向けられている視線に気付いた。この自分を真っ直ぐに射抜くような、鋭さを帯びた力を持つその主を、彼女はこの場の誰よりも良く知っている。
唯は、ゆっくりと眼球だけを動かして彼を見た。
彼女の予想通り、仁王が唯のことをあの冷えたような瞳でじっと見つめていた。すぐ近くにいる切原にも伝わりそうなほど、仁王は険のある表情を浮かべているが、切原の瞳は騒ぎの動向に完全に捕らわれており、普段と相貌が全く異なっている彼に気付く様子はない。
それは切原だけではなく、丸井たちも同様だった。
仁王と瞳が合ったまま、数秒、あるいはほんの一瞬、時間が流れた。彼の唇が緩やかに持ち上がる。鴉の鳴き声と仁王の歪な笑みが、彼女の身体を通り抜けていく。
その瞬間に唯は彼が何を狙って、皆にあんな話を突然吹き込んだのか、その意図が分かったような気がした。そして、彼女が期待を裏切らないことも彼はまた良く理解していた。答えの代わりにと唯は瞳をひたりと閉じる。
とうとう鴉の声が途切れ、生徒たちのざわめきが教室内を掌握し始めた頃になって、彼女は突然口を開いた。
「丸井くん」
「え? あ、あぁ……」
騒ぎを聞きつけた教師数名が、慌てた様子で教室に飛び込んでくる。続いて姿を見せた風紀委員長の姿に、切原が小さくやべっと声を上げた。
思わぬ真田の登場に、丸井とジャッカルの背後に隠れるようにして姿勢を低くした切原と国舘を見て、唯は思わず表情を和らげる、そのまま丸井を見れば、彼は益々困惑したと言ったばかりに視線を泳がせた。
彼女は声もなく笑い、そんな丸井から目を逸らす。
「昔から私の周りって、こういう変なことが良く起きるんです。昨日のことも、きっと私のせいです。ごめんなさい」
「な、何だよそれ」
「仁王くんから色々聞いたんでしょ。私の話……だったら」
もうあんな目に二度と遭いたくないでしょうと唯が続ければ、丸井はいよいよ言葉に詰まって黙り込む。
唯の視線の先では、教師が鴉の死骸にビニール袋を被せていた。