カレイドスコーピオ

インビジブル

03.探し物と嘘 / 8

 奇妙な沈黙が、少しの間漂っていた。
 それを破ったのは、他でもない切原と国舘だ。先程まで激しく抵抗していた二人が、急にその勢いをなくしていく。
 教室内は再び五人だけとなったが、それでもこの場でまだ自我を保っている三人にだけ、言葉にせずとも確実に理解出来ていることがあった。

――まだ完全には終わっていない。

「なぁ、ブン太。何か、まだ変な感じがしねぇか?」
「あぁ。おい、無川、平気か? さっきの女、お前が追い払ったのかよ……っと重ぇ」

 弱々しくなったものの僅かに身じろぎを繰り返していた国舘の身体が、糸が切れた人形のようにがくりと力を失った。つられて一緒に倒れ込みそうになった丸井は、慌てて体制を整えて彼を抱え直す。
 続いて切原もジャッカルに凭れ掛かるように膝から崩れ落ちた。
 二人は完全に意識を失ってはいたが、その表情は穏やかだった。これで仲間同士で傷つけ合うという最悪の事態はどうやら回避出来たが、教室内に未だ充満する空気はやはり異質なものに他ならない。
 の手中にある髪はまだ形を留めている。一体何故この髪にあのような力があるのか不思議でたまらないが、仁王の言う通り守ってくれているらしい。次にまた何か起きた場合、頼れるのは間違いなくこれだけだ。そう思うと自然と握り締める手にも力が込められる。

「な、何とか大丈夫です。それよりも今は一刻も早くここから離れませんか?」

 彼女は丸井からの質問の一部をはぐらかしながら答えを返したが、彼は全く気にしていないようだった。それどころかの提案に頷き、既に興味対象を扉の方へと移している。
 は祈るような思いで扉に手をかける。そのままスライドさせてみるが、やはり扉は頑として動かず、がちゃがちゃと抵抗するばかりだった。
 それぞれ切原と国舘を肩に担ぐようにして支えていたジャッカルと丸井は互いに目配せをすると、壁に意識を失った二人を預けて扉の方へ歩み寄ってきた。

「よし、蹴破るぜ……ジャッカルが」
「こういう時まで冗談はよせよ。とにかくここから出るのは賛成だ。他のことは後で考えれば良いだろ」

 よしと丸井が肩を回してのすぐそばまで来た時だった。
 二人の足がぎくりと強張る。

――何かが、居る。

 三人は目だけで、その場から動くなと互いに合図をする。
 異変はすぐ側に確かにあった。窓際のカーテンがぶら下がっている辺りに溜まっていた暗闇が不自然に揺らいでいたのだ。
 丸井とジャッカルはそれに対して完全に背を向けているため、その様子を目にしていたのはだけだった。
 彼女が息を飲んだのを見て二人もすぐに状況を察したが、まるで金縛りにあったように身体を動かすことが出来なかった。

「何が、い、るんだ、よ、ぃ?」

 丸井の掠れた声にはただ首を小さく振るばかりだった。
 初めはカーテンそのものが揺らめいているか、新たな霊が居るのだと思っていたが全く違っていた。むしろ夕日によって浮かび上がった影そのものが、まるで心臓が脈打つように息づいて蠢いていたのだ。
 不規則に小さく揺らいでいたそれが、動きを次第に増すとともに少しずつ大きくなっていく。明らかに夕日が当たっているであろう場所が影によって染まっていく様に、は言いようのないこれまで以上の強烈な不安を覚えた。
 見た目だけで言えば目の前の影の塊よりもずっと、先の女生徒の方が霊らしく恐怖を煽る存在のはずだ。それでもこの影が浸食していく姿を見ているだけで、途方のない恐怖がまるで大きな波のように押し寄せてくる。
 この影には決して捕まってはいけない。何故かそう思ったは、咄嗟に叫んだ。

「あれに絶対触らないで!!」

 彼女の荒げた声で呪縛が解けたのか、丸井とジャッカルが振り返ると同時に、影の膨張する速度が急に上がる。そして、するすると床や壁を伝って真っ直ぐに三人に向かって伸びてきた。

「な、何なんだ。アレ……」

 まるで蛇のような動きでうねりながら迫る影を見て、ジャッカルが信じられないとばかりに目を見開く。そして影が伸びる進行方向に壁に寄りかかる切原と国舘がいることに気付くと慌てて走り出した。
 彼はそのまま速度は落とさずに駆け込んだまま二人の腕を掴み、影のない場所へと間一髪のところで滑り込んだ。
 その間にも影は止まることなく進んでいたが、と丸井まであと少しと迫った所でぴたりとその動きを止める。
 天井、壁と不自然に張り付いたままの影が、今度は床からは生えるように、天井からは滴るように伸び始めた。それぞれがやがて合流すると平面だったはずの影は、一つの大きな塊となり、二人の前で揺らめきだす。
 の瞳には、ただの暗闇の塊でしかないそれが、まさに大きな一匹の蛇のように映った。
 やがて影の一部が音もなく割れる。切り開かれたその先にある暗闇が渦を巻きながら澱んでいた。それはさながら二人を食らわんとする大きな口そのものだった。
 初めてだけではなく丸井までもが、うっと声を詰まらせる。
 次の瞬間、影が今までにないほど素早い動きで二人に飛びかかってきた。

「危ねぇ!!」

 丸井が叫んでの身体を押しやり、自身も素早く反対側へと飛び退く。すんでのところで避けた二人の間には、黒い川のように横たわる大きな影があった。
 それはやはり蛇の腹の如くうねうねと蠢いていた。

2012/05/23 Up