
ぎりぎりと痛いほどに足を締め付けられ、唯は恐怖と痛みからまるで過呼吸になったように喉をひくつかせて喘いでいた。
「あなたの足をちょうだい。ねぇ、あなたの足をちょうだい。ちょうだい。ちょうだい。ちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいよこせよこせよこせよこせよこせよこせ」
ぐっと足首に埋まる指の力が強まったと思った次の瞬間には、かっと見開かれた瞳が唯のほんの数cm上にあった。相手の息遣いすら顔に触れそうなほどに近い距離だ。
女生徒の口から零れる血がぽたりと唯の頬に落ち、ぬるりと肌を滑っていく。
彼女はいよいよ恐怖に声を張り上げた。ところが、それは予想に反して音としては広がらず、僅かに上ずった叫び声にしかならなかった。
するりと女生徒の空いていた手が唯の首元に伸ばされた。体温のない冷たく細い指が、とくとくと温かな血の通う首筋にゆっくりと確実に沈んでいく。
丸井たちの声がより一層大きくなったが、唯の息苦しさと混乱に支配された脳は、かえってこの出来事を従順に受け止めていた。
死という単語がゆらゆらと蝋燭の炎のように目の前で揺らめいている。漠然と、そうかここで死ぬのかとさえ思い始めた頃、何を求めるわけでもなく宙を掻いていた自分の手首に収まっていたシュシュが目に入った。靄がかかった思考がすっと鮮明になる。
「い、嫌だ……!」
唯が無我夢中で思い切り腕を振り回すと、偶然にシュシュが女生徒の顔にぶつかった。
彼女は一瞬煩わしそうに顔を顰めたかと思うと、突然目を見開き叫び声を上げる。
「熱い! 熱いぃ!!」
女生徒はそのまま苦しそうに床でのた打ち回る。シュシュが触れていたと思われる右頬周辺の肌が、まるで火傷のように黒く爛れ彼女は甲高い声を上げて苦しんでいた。
唯は、急に肺に入り込んだ酸素にごほごほと何度も咳込みながらも、壁伝いに何とか女生徒と距離を取る。
生理的に零れた涙で霞む視界の先で、彼女が唯を憤怒の形相で睨みつけていた。
思わずシュシュを外して、縋るようにぎゅっと握り締める。
(……っ!?)
ちくりと手の平に突き刺さるような感覚に、思わず女生徒から視線を外した。
手の平を見つめてみるが、特に何か怪我をした様子はなく、彼女はシュシュへと目を凝らす。
良く見ればシュシュから何かが飛び出しており、彼女は慎重にそれを引き抜いてみる。
まるで針金のように固く、唯が余分に力を込めても折れる気配が全くないそれが、あの仁王からもらった髪の毛だと理解するまで若干の時間を要した。
「何ぼーっとしてんだ! 今の内に逃げろぃ!!」
丸井の怒号にはっと女生徒の方を見ると、彼女のその瞳は怒りの炎で満ちていた。火傷のような跡は先程よりも僅かに広がっており、かつての面影は既に消え失せている。血を流しながら歯を剥き出す姿に再び震えが起きた。
上手く力の入らない足を叱咤して立ち上がると、更に彼女から離れようと一歩足を踏み出した瞬間、足を取られて彼女は再び激しく転倒した。床に打ち付けた膝が悲鳴を上げる。
恐る恐る足元を見れば、今までに見たことがないほどに顔を歪ませた女生徒が、しっかりと彼女の足を掴んでいた。
振り解こうと足をばたつかせるが、逆に力を込められて更にそのまま引き寄せられる。
「きゃあああ!!」
ずるずると引きずられる度、床に擦れたり机や椅子にぶつかったりと唯の身体は痛めつけられているが、あの女生徒に完全に捕えられたら最後、怪我どころでは済まないことは明白だった。
そんなことを考えている内に唯の身体は再び彼女のすぐ目の前に収まっていた。
「やっと見つけた私の足。絶対に逃がさない……!」
ぎりと足を強く締め付けられるだけではなく、下に強く引く痛みが加わって唯は顔を歪ませた。まさかと思って彼女を見れば、にぃと彼女の唇が吊り上る。女生徒は唯の足をあろうことかこのまま引き千切るつもりのようだった。
「止めて! 痛い! 痛い!!」
「あははははっ!!」
再び女生徒が首を締めようとのしかかってくる。
襲い来る息苦しさに唯は、彼女を押し戻そうと拳を振り上げた。
「がっ! あ……?」
女生徒の瞳が驚愕に震えていた。
恐る恐る目を開いた唯が見たものは、彼女の額に深々と沈むあの髪の毛だった。
ずぶりとした生々しい感触に唯は思わず手を離そうとしたが、まるで張り付いたかの如く動かない。
そうしている内に女生徒は自らそれを引き抜いた後、よろよろと立ち上がり唯から離れようとしてそのまま仰向けに倒れ込んだ。
「嫌だ。痛い。痛い。痛い。何で? 何で? 何で? ただ返して欲しいだけなのに。嫌だ。嫌だ。助けて」
やがて彼女の肌は額からひび割れて黒く染まっていったかと思うと、そのままさらさらと砂のようになって崩れ始める。
唯だけではなく、丸井もジャッカルもその様子を息を飲んで見守っていた。
――どうして? ここに来れば返してくれるってあの人が……
そう呟いたのを最後に、とうとう彼女の身体は、教室内を染め上げる暗闇に溶けて消えた。