カレイドスコーピオ

インビジブル

03.探し物と嘘 / 6

 すっかり紙に気を取られていたは、彼の変化に気付くことが出来なかった。

無川!!」

 ジャッカルの自分の名前を呼ぶ叫び声に驚いて顔を戻すと、飛び込んできたのはに向かって腕を振り上げている切原の姿だった。
 彼の瞳が、まるで充血したかのように赤く染まっていた。
 吸い寄せられるようにその瞳を捉えたまま、彼女はテニス部には赤目になると狂暴性を惜しげもなく露わにするレギュラーがいるという話を思い出していた。切原のことだったのかと、スローモーションのように彼の腕が自分に振り下ろされる姿をなすすべもなく見つめて立ち尽くしていた。
 遠くで丸井の避けろという声が聞こえた。もう間に合うはずもない。彼女は咄嗟にぎゅっと目を瞑る。
 次の瞬間に訪れた全身に走る衝撃に、思わずは息を詰めた。特に右肩を強かに床へ打ったらしく、少し遅れてじんとした痛みが広がった。
 初めはてっきり切原に投げ飛ばされたのだと彼女は思った。
 だがのすぐ近くから自分とは違う息遣いを感じて、すぐに自分が庇われたのだと知ることになる。

「っ、無川。大丈夫か?」
「あ、ぁ、ジャ、ジャッカルく、ん」

 ジャッカルはすぐに身体を起こすと、浅く呼吸を繰り返す彼女の腕を引き、助け起こしてから切原との間に割って入る。
 見れば彼も相当無茶な体制で飛んだようで、再び周囲には机や椅子が無造作に散らばっていた。

「一体何が起きてやがる。どうして急に赤目になんて……」

 たちの様子を心底楽しんでいるかのように、けらけらと笑い声を上げる切原をジャッカルは困惑した瞳で見つめていた。
 異変はそれだけではない。突然、丸井の呻き声が響く。
 見れば羽交い絞めにしていた国舘が激しく暴れ出し、振り回した肘が丸井の脇腹に繰り返し沈んでいた。
 その度に彼はぐっと息を詰めるが、それでも国舘が逃げないようにと必死で抑え込む腕を緩めることは決してない。

「く、にた、ち大人しくしろよぃ! ってぇ!」
「ブン太!」
「俺は良いから、赤也を何とかしろぃ! ジャッカル!」

 ゆらりと今度は丸井の居る方へ足を進め始めた切原を見て、ジャッカルは丸井と同じように咄嗟に切原を羽交い絞めにする。

「あ゛ぁ゛!?」
「おい、落ち着けって赤也!! なんなんだ、この馬鹿力」

 切原は強く上体を捻ると噛みつく勢いでジャッカルを睨みつけた。そしてお構いなしに暴れ出す。
 普段以上の力を見せる彼の抵抗にジャッカルの表情も歪んだ。

「おい! 無川……だっけ。誰でも良いから早く人呼んで来い! 俺達だけじゃ、この二人を抑えきれねぇ」

 丸井の焦りの混じった声に思わずの身体が震えた。
 早くしろぃと彼が再び叫ぶ。弾かれるように立ち上がると、彼女は半分ほど開いている扉へ向かって走り出す。
 切原も言っていたが、こっくりさんが行われていた場所が前回の空き教室とは異なり、今回は普段から使用する教室であることや扉も開いている状態にも関わらず、これだけの騒ぎを起こしてもやはり誰も来る様子がないのはあまりにも不自然だった。
 だが、今はそれどころではない。早く誰かを呼んでこなければ、ただでさえ切原は手を負傷しているのだ。仮にもテニス部レギュラーが三人もこの場にはいる。無用な怪我をこれ以上させる訳にはいかなかった。
 ところが扉まで後数cmと迫った時、彼女の目の前で勢い良くそれが閉まってしまった。
 まさかと思いながら飛びつくように扉に手をかけるが、彼女がどんなに力を込めてもびくともしない。

――ずる。ずる。

 あの這うような音がの背後から響く。
 今は聞きたくもないその音に、はいよいよ膝から力が抜けてゆくのを感じていた。

 扉に沿って、の身体が力無く床へと崩れ落ちる。
 離れたところから丸井とジャッカルの怒号が聞こえてくるが、今彼女の耳に届いているのは、目の前を這うずるずるという忌まわしい音だけだった。
 ゆっくりと音に合わせて、白い腕が机の影から覗く。まるで何かを探し求めるかのようなその動きは、確実に彼女に近づいていた。

「何してんだ! 早く逃げろぃ!!」
無川! そいつから逃げろ! くそっ、赤也暴れんなよ!」

 は視線を彼らに向けるどころか、口からは乾いた喘ぎが漏れ出るばかりで叫び声す上げられなかった。
 丸井もジャッカルも国舘と切原を抑え込むことで手一杯であり、を助けることが出来ない状況下にある。
 彼女はそれでも眼前の這う者から目を逸らすことが出来ないまま、その動きを震えながら見つめていた。やがて相手の顔も影から現れる。
 にたにたと笑う件の女生徒は、と目が合うとその瞳をいっそう細くして真っ直ぐに彼女に向かって進んできた。
 あっという間に二人の距離は縮まり、真っ赤な蛇の目がのすぐ近くに迫った。

「あの二人の男の子よりも、あなたの足の方がずっと良いわ。だってこんなにも綺麗だもの。ねぇ、あの子の探し物見つけてあげたのよ。私の探し物もちょうだいな」

 がしりと足首に何かが食い込む。
 眼球だけを動かして、やっとのことでその方向を見れば、の肌よりもずっと白い指が巻きつくように絡みついていた。

2012/05/14 Up