
「アイツ。どこ行きやがった。ふざけやがって……っ!」
「落ち着け、赤也」
切原が近くの椅子を力任せに蹴り上げる音に唯は思わず肩を震わせる。
彼は吹き飛ばされたのが相当気に食わなかったようで、苛々した様子を隠しもせずに全面に出していた。
ジャッカルはそんな彼の扱いに日頃から慣れているのか、宥めるように繰り返し言葉をかけていると、やがて彼は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
切原の様子が気になったものの、唯は教室内を恐る恐る見渡してみる。
彼の言葉の通り、どこにもあの女生徒の姿は確認出来ず、また特に異様な空気も漂っていなかった。
「国舘。大丈夫かよぃ」
「すいません。もう、平気っす」
その声に思わず唯の視線が丸井たちへ向かう。
ふらふらと立ち上がった国舘は、まだ若干視線が定まっていないようで、こめかみを抑えながらそれでも丸井に笑顔を見せていた。
切原とジャッカルも彼の近くにやってくると、同様に大丈夫かと気遣うように声をかける。
「本当に大丈夫かよ? お前、顔真っ青だぜ」
「そういう切原こそ顔擦り剥いてんじゃん。だっせー」
「うっせ」
早くも軽口を叩き合う二人に、丸井とジャッカルはこの分なら大丈夫そうだなと頷く。
「気味は悪かったが、もう何ともなさそうだな。俺、あんなもの初めて見たぜ。とりあえず、赤也も国舘も保健室行った方が良さそうだ。鍵が開いてると良いが」
「俺も初めて見たし。ホントにホラー映画みたいだったな。にしても、コレ全部直すの大変だな。赤也、頑張れよぃ」
「ちょ、俺ッスか!?」
「とーぜんだろぃ。殆どお前が吹っ飛ばしたんだし」
丸井の言葉通り、整然と並んでいた机や椅子は今や元の位置から大きくずれ、机の中身が飛び出していたり、横倒しなっていたりと散々な状態だった。
確かにこのまま教室を出ていけば、明日違った意味で大騒ぎになりかねない。
「でも、これだけ俺ら騒いでんのに、誰一人来ないってのもちょっと気味悪いッスね。あー、これ誰の教科書だ? 丸井先輩助けて下さいッスよー」
倒れた机や教科書を戻しながら切原が困ったように呟く。
唯も自分の近くの倒れた椅子を起こしていると、彼にアンタは巻き込まれただけだから良いよと止められた。
丸井もジャッカルも同じようなことを口にするので、完全にやることが無くなった彼女は、ひっそりとこのまま立ち去るべきか迷っていた。
「これはこっちの机っと。っておい、国舘ぼーっとつっ立ってんなよ」
どんと背中が国舘にぶつかった切原が抗議の声を上げる。
僅かに身体を揺らがせたものの、それ以外余り反応の見せない国舘に彼は眉を顰めた。
「……ね」
「ん? 何か言ったか?」
小さく国舘が漏らした言葉が聞き取れず、切原は彼の顔を覗き込みながら聞き返した。
彼は瞬きどころか、身じろぎすら一切せずにただぼんやりと立っていた。
――あなたの探し物、見つけてあげたのはだぁれ?
国舘のものではない声が彼から響く。
違和感に気付いた切原が身を引くよりも早く、彼の腕が勢い良く振り上げられた。
「痛って!!」
彼の爪が切原の顔を狙う。真っ直ぐに伸ばされた凶器から切原が咄嗟に庇った左手の甲を国舘の指先が浅く抉る。
その瞬間に僅かな血飛沫がそこから弾け、床と先程まで彼らが使っていたこっくりさんの紙の上へと飛び散った。
丸井とジャッカルが切原の名前を叫び、彼は国舘と距離を置くべく二人の方へ飛び退いた。
ゆらりと国舘の身体が揺らいで、唯たちの方へとゆっくり顔を向ける。
その表情は、先程見た女生徒のそれと全く同じだった。
切原の手の甲には、くっきりと二本の赤いラインが走っていた。
思ったよりも深く切れたのか、傷を押さえるために添えた右手の隙間から僅かに血が溢れている。
丸井は二人にちらりと目配せをした後、素早く走り出すと国舘の背後に回って彼を羽交い絞めにするように抑え込んだ。
「赤也。大丈夫か?」
「丸井先輩。俺は大丈夫ッス。くそっ、何なんだ。コイツ国舘じゃねぇ。気を付けて下さいッス」
切原の手からぽたりとまた血が滴った。彼が小さく舌打ちをする。
その様子を見ていた唯は、はっとして鞄の中からハンカチを出すと切原の側に駆け寄った。
ほんの僅かな距離であったのにも関わらず、彼女自身も驚く程に膝が震えていた。
「これ、どうぞ」
「あぁ、サンキュ……っと」
目の前に差し出されたハンカチを受け取った瞬間、切原はそれを思わず取り落とす。慌てて拾い上げると未だ血の滲む傷口に押し当てた。
みるみる白いハンカチは朱色に染まっていく。
「アンタは巻き込まれないように後ろに下がってた方が良い」
「は、はい」
切原の言葉に唯は頷いて、元居た位置まで戻るために彼に背を向けた。
その時、彼女の視界に、無造作に置かれたままのこっくりさんの紙が飛び込んできた。
切原の血が紙面を濡らしている。そして、彼の血は鳥居の上に落ちている。
――お前さんたちの中で誰か血を混ぜて鳥居を書いた奴がいるみたいじゃ。
仁王の言葉が、まるですぐ耳元で囁かれたように蘇る。
思わずぶるりと彼女の身体に震えが走った。