
何だか途方もなく奇妙な光景だと唯は思った。
今、彼女は教室内の適当な席に座っている。そのすぐ前の席に仁王が座り、唯の机に肘を預け頬杖をついている。
はたから見れば、さながらクラスの中で友人たちが親しげに会話をする時のような雰囲気だった。
勿論彼とはそういった間柄ではない。たまたまこっくりさんがきっかけで少し話をしたというくらいの限りなく浅く薄い関係だ。願わくば、今のこの様子を彼のファンクラブの少女たちに見つからないことを祈るほかない。
世界にはざっくりと大きく分けて二通りの人間がいる。
舞台で華々しくスポットライトを浴びる側とそれを観客席から眺める側だ。
ついでに言ってしまえば舞台側も観客席側も更に細かくランク分けされている。
前者が仁王だとすれば、後者は間違いなく唯自身だった。
立海男子テニス部がどれほど有名なのかは、立海生であれば周知の事実だ。現にテニス部に縁のない唯ですら、数々の逸話やレギュラー達が女生徒たちの憧れの的であるのも知っていた。
そんな彼らには所謂『個人ファンクラブ』が存在する。
独自のルールに基づき行動し、彼らを応援する。そして、ルール破りはご法度。禁を犯せば待っているのは地獄だ。要はアイドルのおっかけと同じであり、黒い噂を聞く度に女の世界の怖さと狭さを知ることになる。
特に誰かのファンクラブに身を置いているわけではない唯だったが、今の自分の状況がどれほど危険なのかくらい嫌でも分かっているつもりだった。
だからこそ彼女は、突然切り出された仁王の話よりも、いつ誰かがこの場所にやってこないかとそのことばかりが気がかりで、絶えずはらはらしながら廊下へと耳をそばだてていた。
彼は時折そわそわと視線を廊下に向ける彼女に気付きながらも構わず話を続ける。
「狐・狗・狸でこっくりさん。簡単に言えば、低級霊を使った一種の降霊術じゃ。まぁ他の見方では単に潜在意識が引き起こす自己催眠とも言われておるがのう」
ことりと徐に仁王が机の上に何かを置いた。良く見ればそれは十円玉だった。思わず彼女の心臓がどきりと跳ねる。
昨日の出来事を物語る形のある物の登場に、唯は自分の記憶が嘘ではないことに安心したが、今度は仁王の会話の目的が見えず、ちらりと彼の顔を窺うように視線を向けた。
「安心しんしゃい。紙の方はちゃんと処分したナリ」
仁王は、まるでお気に入りの玩具で遊ぶ子供のように硬貨を指先で弄びながら言葉を続ける。
「あと、そんなに心配せんでも当分誰もここには来ないぜよ」
くすくすと楽しそうに彼は笑った。
何だか自分の思考を全て先回りされているような気がして、唯は思わず僅かに眉を寄せた。
「仁王くん。あの、話って何?」
「むしろお前さんが色々聞きたがっているように俺は感じるナリ」
かちゃんと音を立てて彼の指から硬貨が机の上に落ちた。何周か小さな円を描いて倒れた硬貨と仁王を見やって唯は目を伏せる。
勿論当事者の一人である彼に聞きたいことは山ほどあったが、相手は話を煙に巻くことに対しては殊更長けていると噂に名高い仁王だ。果たして彼女の投げる疑問のどれほどを、彼は素直に打ち返してきてくれるのだろうか。
本来こういう相手とは、些細な言葉すら慎重に選ぶという駆け引きが必要なのかもしれないが、仁王においてはあらゆるそういった小細工が通用しないらしい。
それを踏まえれば、自ずと答えは一つに辿り着く。彼の誘いにこちらが素直に乗るしかないのだ。
「……昨日のあれ、一体何だったんですか?」
何だ意外と素直じゃなと仁王はわざとらしく感心したように頷いて十円玉を弾く。机の上をつーっと滑るそれは、同じく手持無沙汰に乗せられた唯の指先に当たってぱたりと音を立てた。
「あの目玉はお前さんたちがこっくりさんで呼んだ浮遊霊の集まりじゃ。元々、そんなに性質が悪いもんじゃないぜよ。幾らでもその辺に浮いとるくらいありふれたものナリ。ただ、あれだけの数が密集して絡まっていたら、塵も積もれば何とやらじゃ。霊感ない人間にも可視化するぐらいまで成長しとったしのう。あのまま付き合ってたら、何も知らないお前さんたちではどうしようもなかったじゃろうなぁ」
話を聞いている間、唯は無意識に目玉の乗っていた手の甲をそっと撫でていた。
その様子を仁王は目を細めて見つめながら、最後に目だけじゃすまなかったぜよとさらりと付け足した。
「頂戴って、やっぱり私たちの身体そのものだったんですね。目玉だけじゃ動き回るのも大変そうだったし」
「やけに冷静じゃな」
「あんまり現実離れし過ぎて、逆にしっくりこないだけです。まだ、それ居るんですか? ここに」
「もう居ない。消した」
「消した……」
「あぁ、消した。邪魔だったからのう」
あれが幽霊だというのか。
彼女の抱えるそれのイメージと言ったら人型を模したものだ。あれは幽霊と言うよりもまるで化け物だった。
生々しく肌を滑ったあの感触が蘇ったが、それよりも仁王の淡々としているが、全く物怖じしていない言い方がはるかに怖いと思った。
友人でも何でもない唯に対して、普通なら到底信じてもらえないであろう話を次々に紡ぐ彼の独特な雰囲気に思わず飲まれそうになる。このまま話を続けるのはきっと良くないと思ったのは、彼女の直感だった。
あれが幻ではなかった以上、これから先こういうものに自ら進んで関わらなければきっと何も問題ないだろう。その点においては、貴重な経験をさせてもらったと言えるかもしれない。
そんなことを考えながら、唯はこの状況を無理矢理終わらせるべく立ち上がると、仁王に向かって頭を下げた。
「仁王くんに言われたように、もうここには極力来ませんし、こっくりさんも絶対にやりません。ありがとうございました」
言うが早いか扉へと向かおうとする彼女の腕を仁王が引き留める。
がたりと机が大きく揺れ、机上の十円玉が転がり落ちた。軽い音を立てて転がる音と唯の小さな疑問の声が重なる。
「待ちんしゃい」
仁王は笑顔のまま掴んだ腕をぐいと引く。よろりと体勢を崩した唯は思わず、すとんと椅子に腰を落とした。
その様子に満足したように彼は腕を離すと、転がった硬貨を拾い上げて制服のポケットに仕舞い込む。
「お前さんが聞き忘れてることがまだあるじゃろ? それともわざとかのう?」
話はまだ終わっとらんぜよと笑う彼の瞳は、やはりこの状況を楽しんでいる人の色だ。
やけに饒舌になり始めた仁王を見て、唯が今度こそはっきりとため息をつけば、また彼の笑い声が響いた。