
十円玉は未だに不規則な動きを続けている。
まるで酒にでも酔ったように不安定なその動きに、他の少女たちは一転して縋るような目で唯を見た。
目玉と少女たちからの視線を一身に浴びながらも、唯は祈るような思いで言葉を繰り返す。その度に彼女の言葉に反応して、硬貨は迷うように左に右にとふらふら揺れた。
なぜ急にこんなことになったのかは分からないが、期待に思わず人差し指には力が入り、軽く握りこまれた他の指の内側はうっすらと汗が滲む。
だが、そこから先はいくら彼女が言葉を続けても、事態が好転することはなかった。
望むこっくりさんの終わりは見えず、少女たちの顔は焦燥の色に塗り潰される。
教室に落ちる影はより色濃くなり、彼女たちを緩やかに追い詰めた。
妙な疲れを覚え始めた唯の声もやがて小さくなっていき、とうとう口を閉ざすまでに至った。
べちゃりとまた彼女の近くに二つ目の目玉が落ちる音が響く。
「……やれやれ、仕方ないのう」
はぁとため息をついて立ち上がった仁王は、心底うんざりしたような声を上げて、再び唯たちの側に歩み寄ると、天井の目玉を見上げた。
涙のせいで今や赤く腫れつつあった少女たちの瞳が仁王へと向けられ、同じくして唯を見つめていた目玉の群れも今度はぎょろりと一斉に彼に視線を向ける。そして、この二つの視線には決定的な違いがあった。
前者は唯以上の期待を、後者は剥き出しの敵意だ。
それでもなお、仁王は動じずに天井を見つめながら浅く息を吐く。
彼が行動を起こしてから唯たちがありありと感じたのは、この場の空気がこれまで以上に重くなったことだ。まるで空気自体が執拗に巻きついてくるような嫌な感じが全身を覆う。自然と身体が震えた。
一体何が起きたのかと改めて仁王を見れば、一転して彼は険しい表情で天井を睨みつけていた。その先を辿るように唯の視線が泳ぐ。
目玉の群れは、その全てがこれでもかと言うほど限界まで目を剥いた状態で仁王に視線を注いでいた。
やがてその内の一つが充血したように赤く染まり、それを中心にして他の目玉も同様に変化が始まった。
全てに広がりきると、今度は目玉からぽたぽたと涙が溢れ出す。
机の上の紙に丸く赤い染みが出来上がったのを見て初めて、それらまるで血のように赤い涙を零していることに気が付いた。
その赤の上を硬貨が勢い良く滑る。
――『か』『え』『れ』
これは威嚇だと、唯は全身を巡る体温が急速に奪われていくのを感じた。
彼女たちは目玉の群れを恐れていたが、逆に目玉たちは仁王の存在を恐れている。
思えば彼がこっくりさんの紙に最初に触れた時も、硬貨はまるで逃げるような素振りを見せていた。
改めて彼は一体何なのだろうかと、唯は仁王を見る。彼は、彼女たちが推し量ることが出来ないほどの敵意を一身に受けてもなお全く気にしていない。
不思議なことに、仁王の近くに立ちつくす少女の髪も顔も身体も天井からの滴りによって所々に赤く染みが出来ているのに対し、一方の彼は髪も制服も未だにその様子は見当たらず綺麗なままだった。
一方の唯たちはと言うと、身体は無事にしろ紙面はすっかり濡れてしまっており、硬貨が滑る度に帯状に掠れた赤い線がそこには浮かび上がっていた。
その時、ぽたと唯の手の甲にも赤い涙が滴り落ちた。それは妙に生温くぞわりと彼女の肌は粟立つ。他の少女たちがひっと声を上げ唯自身もあの目玉が体内に潜り込んでいった光景をまざまざと思い出し、咄嗟に拭おうと反対の手が伸びた。
「それ以上、寄生されたくなかったら触らん方が良いぜよ。お前さんたちはそのまま動かず、目玉を見ないよう下見てんしゃい」
相変わらず仁王はのんびりとした口調で穏やかならぬ言葉を紡ぐ。
慌てて唯は手を引っ込めると言われた通り下を向いた。他の少女たちも同様だった。
手の甲に広がったままの涙は、未だにその熱を失わない。それどころか、まるでそのものが生きているかのようにどくんどくんと脈打っていた。気持ち悪さに唯の指先はかたかた震え出す。
今、彼が一体どんな顔をしているか気にはなったが、そっちを見てしまうと嫌でも彼が警告する目玉を視界に入れてしまうので、唯はじっと自分の制服のスカートに視線を落とすことに意識を集中した。
その一瞬、視線の端であの落ちた二つの目玉を捕える。
それらはまるでトマトを勢い良く落としたかのように無残に潰れて床に広がっていたが、時折びくびくと痙攣に合わせて蠢いていた。嫌なものを見てしまったと、唯は今度こそぎゅっと目を強く瞑った。
十円玉は再び激しく動き始めていたが、どんな言葉を紡いでいるのかなど誰も知りたくなかった。