
ぐちゃり。ずるずる。
目の前で繰り広げられる非日常の光景を表現するとすれば、これ以上に符合する言葉が少なくとも唯には見つからなかった。
無表情で立ち尽くす少女の頭部の上に歪に広がった目玉からは、粘着質な液体がどろりと流れ出し夕日に照らされててらてらと光っている。やがてそれはさも当然とでも言うように彼女の身体へとゆっくり潜り込んでいく。
この前観た映画に、そっくり似たようなシーンがあったことを思い出す。狂暴化した虫が人間の耳から潜り込み、体内からゆっくりと食い殺すというものだ。寄生された人間の結末はどうだっただろうかと、唯がそんなことを考えている内に件の目玉はすっかり少女の体の中に吸い込まれて見えなくなった。そしてそれっきり少女は俯いたまま再び動かなくなった。
天井にある数多の目玉たちは、ぐりぐりと自らの身体を動かしながら、その様子を見下ろしていた。
本体を支えるように周囲に赤黒く盛り上がった肉が、目玉の動きと合わせて不規則に脈打っている。それらが天井の全てを隙間なく覆い尽くしているのだ。まるで天井そのものが、一つの肉塊によって蓋をされているようだった。
じっと見上げていると、目玉の一つと唯の視線が絡んだ。相手はまるでそれが嬉しいとでも言うように目まぐるしくぐるぐると回り始める。彼女は眩暈と軽い吐き気を覚えて思わず口元を手で覆った。
こんな光景 少なくとも唯は映画や漫画の世界でしか知らない。
有り得ない状況下に放り込まれたことで、どうやら彼女の感情は、他の少女と違う方向に飛んでしまったらしい。
現に他の少女たちはずっと震えすすり泣いているままだったが、唯に至っては恐怖を感じつつも勝手に溢れていた涙が今は逆に全く出てこない。
濡れて乾いた涙の跡が微かにぴりぴりと疼くのを感じながら、彼女は目玉から視線を引き剥がす。
何故、こんな状況下で仁王は、今もなお平然としていられるのだろうか。
「また、随分と可愛いもんが呼ばれたのう。さて、お前さんたちの中で誰か血を混ぜて鳥居を書いた奴がいるみたいじゃ。まぁ大方今そいつが入っていった奴かの」
椅子から立ち上がった仁王は、机の側に寄り紙に書かれた鳥居の近くを自身の指でとんとんと叩いた。
鮮やかな朱色だった鳥居の色が、いつの間にか黒ずんだ赤に変色している。
十円玉がまるで彼の指から距離を空けるようにゆっくりと動いた。
「仁王くん。天井のアレ何? 何なの? どうしたらいいの? お願い。どうしたら良いか教えてよ……」
「さっきから言うとるぜよ。お前さんたちの自業自得じゃ。ほら、頑張りんしゃい」
少女の懇願にも仁王は白妙の髪を揺らしてただ笑い、再び椅子のあった場所に戻ると悠々と腰を下ろして傍観の姿勢を取る。
すすり泣く少女たちと、未だに立ち尽くしたままの少女とを交互に見やった唯は、益々自分が仁王と同じように冷静になりつつあるのを感じていた。
仁王の態度だけではない。口ぶりもやけにこういった出来事に場馴れしているような印象を受ける。
彼はこの目玉たちへの対処方法も知っているらしいが、まるで教えるつもりはないようだった。あるいはその逆で、唯たち程度に出来ることがこっくりさんのルールに則って帰ってもらうしかないのかもしれない。
いずれにせよこのままでは一向に埒が明かない。
他の少女たちはこの有様だ。自分から何かを率先して行動を起こすことは苦手だったが、少なくとも今彼女たちより冷静で居られるのは自分だけなのだと、唯はゆっくりと未だに何かを執拗に欲している蠢くものたちに向き合うことを決めた。
かといって勿論自分に出来ることと言ったら、せいぜい他の少女と同じように帰ってもらうように懇願する程度だったが、それでも今は仁王の言葉を信じるしかない。
ゆっくりと一つ深呼吸してから唯は口を開いた。
「お願いします。こっくりさん。どうぞ、どうぞお帰り下さい」
唯自身も内心驚くほどはっきりと紡がれた声に、まず硬貨が奇妙な反応を見せた。
ふるふると不規則にゆっくりと動き回り始め、今まで同じ単語しかなぞらなかった言葉も今度は全く意味をなさないものに変化する。
瞬間、彼女の背筋がぞくりと逆立つ。
見れられていると感じ彼女が頭を上げれば、天井の目玉の群れの全てが微動だにせず唯のことを見ていた。彼女は思わずごくりと唾を飲み込む。
その内の一つが、先程と同じようにぽたりと滴り落ち唯のすぐ横を霞めて床に広がった。べちゃりという生々しい音に心の中でひぃと彼女は悲鳴を上げ、硬貨の動きを目で追いながらもう一度言葉を繰り返す。
先程まで飄々とした態度を見せていた仁王までもが、今度はうって変わって口を閉ざし、じっとそんな彼女の様子を見つめていた。