
唯を見据える少年は、そう口を開くと首を傾げてみせた。
その仕草一つにすら彼女が酷く動揺したのは、人気が全く感じられなかった場所に突如として彼が現れたという驚きよりも、少年の外見による影響が大きい。
彼の服装は、全体的に黒と赤というカラーポイントを意識しシンプルにまとまってはいるが、唯は少しばかり違和感を覚えた。
違和感と言ってももう今更の話だ。現実での季節は秋であるのに関わらず、この場所での体感的な気候は春そのものである。そしてまた少年の服装から感じるのは、一転して冬のイメージだった。
少年の身体の線は細く、ぴったりとした黒いロングコートの下には深紅の長い襟巻きが巻かれている。縁側に散らばるコートの裾の裏地は、赤と黒との市松模様と中々に凝った作りをしているようだ。黒主体であるからこそ、ボタンやベルトの金色の控えめな装飾がかえって良く映えた。
ゆるく吹く風に混ぜられ、少年の艶やかな髪が揺れる。男性にしては襟足を相当に伸ばしているらしく、肩口に白い髪留めが見えた。
随分と身なりを意識しているという印象を受けた。
彼女と視線が絡んだままの少年の目がふいに細められる。身体の至る所に散りばめられているのと同じく、彼の瞳は深紅に染まっている。
カラーコンタクトをまず初めに連想したが、その考えが浮かぶのと同時に彼女はそれを否定した。
赤い虹彩を持つ人間が存在することは知ってはいる。だがこうも鮮やかなものなのかと、唯は思わず彼に見入っていた。
少年はそんな唯の反応も特に気にも留めていない様子だった。むしろ嬉しそうに口の端を軽く持ち上げ形作るほどだ。
そこで彼女は彼の先の言葉を思い出す。『やっと来た』とはどのように解釈しても少年がこの異変の一端に組していることを示している。もしかすると、彼が原因そのものなのかもしれないと邪推は膨らむ一方だった。
「……ん」
少年が小さく呻いて、左目を軽く払うような仕草をした。どうやら桜の花びらが掠めたらしい。
その爪先すらもれなく深紅に濡れている。それが彼女の瞳に映った次の瞬間、彼の縁側に置かれた右手、彼女の位置からはちょうど足下の辺りからカチャリと重い金属音が響いた。
反射的に彼女が視線を落とせば、ぎくりと身体が強張った。
彼の右手が添えられていたのは、縁側に横たわる赤い鞘だった。そしてその先には黒い柄も覗いている。唯の持つ黒い鞘とは異なり、相当な長さの中身がそこには確かにある。
更に目をひいたのは、その手の甲を覆う黒い装飾だった。彼の爪先と同じくして艶やかに光るそれも金属で出来ており、前腕部まで続いている。
こういうものを何と呼ぶのか思い出そうとしたが、どうしても上手くいかなかった。
いずれにせよ、先の鞘の件といい少年の鞘といい、なぜこうも物騒なものがごく当たり前のようにここには存在しているのだろうか。
凍り付いた表情を張り付ける唯に気づいた少年は、どうしたのかと不思議そうに見つめ返すばかりで、彼女に対して殺気といった類いのものは感じられないが、彼は決して鞘から手を離そうはしなかった。
「ねぇ、どうしたの?」
一向に口を開かずにいる唯に、焦れたように少年が問いかける。彼女はそっくりそのままの答えを返したくなったが当然ながら言葉は喉の奥でじっと身を潜め出てくる気配を見せない。
彼女の視線がちらちらと彼の手元の刀に注がれていることを感じ取ると、少年は再び目を細めた。
彼の右手が意図して動く。途端に過剰な反応を見せた唯の様子に、少年は彼女の視界に入らないよう、それを今度は自身の左側へと置き直した。
彼の所作は一貫して唯に対して好意的なものだった。
「……あぁ、そうか。まだ、何も聞いていないんだ」
納得したのか少年はただただ屈託なく笑う。けれど、今度は彼の左手の先がどうにも気になって仕方がない。
唯は引き攣った表情で、彼の影に身を潜めたそれの後を追うばかりだった。
「こんのすけ」
ふいに彼の唇が動き、視線が唯から離れると中庭の方へと向けられた。唯もそれにつられて視線が泳ぐ。
先ほど先導していたあの狐が、縁側と桜の木のちょうど中間あたりに座っていた。相変わらず表情に変化はなく、尾だけがゆったりと揺れている。
「駄目じゃん。ちゃんと仕事しろよなー」
不貞腐れたような声色で、彼はその狐を『こんのすけ』と呼ぶ。
狐に付けるあだ名としては割と思いつき易い部類だなと、唯はぼんやりとそんなことを思った。
少年の呼びかけに、こんのすけは僅かに首を傾げ彼の方を一瞥する。やはりどうにも人間らしい仕草をするその狐は、立ち上がるとゆっくりと二人の方へと歩み寄ってきた。
そうしてそのまま縁側の上に飛び乗り少年に向き直る。
「……ことを急いたのはそちらです。加州清光」
こんのすけは、やはり変わらない調子で静かにそう続けた。