カレイドスコーピオ

からの鞘

01.からの鞘 / 5

 人の生が側にあってこそ、家も共に生きていけるのだという話を聞いたことがある。
 かつてはさぞかし立派な佇まいだったのだろうが、今はその見る影もない。
 庭を始めとして雑草が深く生い茂り、剥がれた屋根瓦が散乱する縁側に凭れ掛かる雨戸も腐り落ちている。和紙が完全に溶けた障子戸が、彼女の視界の先に転がっていた。
 叔母の家とどこか似ている外観に、近い将来にあの家も同じような末路を辿るのではと、ふとは心配になった。彼からは落ち着いたら家も処分すると聞いてはいたが、人手に渡るのかそれとも解体するのかどちらなのだろうか。出来れば前者であれば良いのだが、もちろん彼女が口を出せる内容ではない。
 硝子の抜けた玄関の引き戸が開いている。そこから室内の様子が窺えたが、予想していた通りそこも酷い荒れようだった。
 薄暗く詳細までは分からないが、視界の先の突き当りは同じくぽっかりと四角く切り取られ、太い木の幹が覗いている。恐らくそこにも元々は戸か窓がはめられていたのだろう。
 ゆっくりと玄関扉に近づいたは、ここまで来たらせっかくだからという気持ちもあって、一歩だけ足を踏み入れる。
 すぐに湿った黴臭い匂いが鼻につく。視界の先にある畳の上には至る所が黒ずんでおり、どうやら雨漏りも相当にあるようだ。
 これでは到底人が住める環境ではない。

「やっぱり何も無いか。じゃ、戻ろっかな……ん?」

 かつんと彼女の足の先が何かを弾いた。
 からからと軽い音を立ててそれは床を滑る。彼女が反射的に視線を落とすと、短い棒が転がっていた。しゃがみ込んで拾い上げれば、思いのほかそれは軽かった。
 長さは二十センチメートルほどで、どうやら木で出来ているらしい。元々は一面に光沢のある黒い塗料が塗られていたようだが、その殆どが剥がれ輝きもすっかり失われてしまっている。辛うじて残っているところも軽く指で触れるだけで痛んでしまいそうだった。
 その木には更に赤い紐が幾重にも巻かれていた。ただ無造作に結ばれているのではなく、形状に合わせた規則的な編み込みは、装飾目的に施されたものであるのは明らかだった。
 断面を見ると、ちょうど木に沿って何かが差し込めるような形状をしている。そういった類いのものに明るくないですら、これが刃物を収める鞘であることは想像がついた。
 なぜこんなところにと辺りを見回す。鞘があるということは、その中身、つまりは刃も近くにあるはずだろう。ところが、軽く眺めた感じではそれらしいものは見つからなかった。
 拾ってしまったものの、まさか持ち帰るわけにもいかないと、元あった場所へとそれを戻そうとしたはふと顔を上げた。
 ざわりと一瞬にして全身を悪寒が駆け抜ける。感じたのは視線だった。それは確かに部屋の奥の方から彼女に注がれていた。
 思わずは息を止めて、眼前の白くくりぬかれた光の先を見据えた。

「!」

 光の左隅のほうで黒い何かが揺らいだ。明らかにの行動に対する反応に他ならず、それは左の続いてあるであろう部屋の方へと無音のまま消えた。
 はたしてそれが人であったのか、動物であったのかは分からない。少なくとも追い掛けて正体を確かめるほどの勇気を彼女は持ち合わせていなかった。
 ひゅっと息を飲み込んで、の身体は金縛りにでもあったようにその場で凍り付いた。耳の奥からやけに早くなった鼓動が響いている。

(え? ちょっと待って。何? 今の何?)

 ばくばくと心臓が内側より激しく彼女を叩いている。見てはならないものを見てしまったのかもしれない。そう思った次の瞬間には、はそこから勢い良く飛び出していた。
 もつれる足を必死に動かして石階段を駆け下りる。いつの間にか、周囲にはうっすらと霧が立ちこめていた。
 そうしてあの鳥居の姿が見えたところで、ほっとして彼女はようやく足を止めた。そこで初めて拾った鞘を持ってきてしまっていたことに気がついた。
 強く握ってしまったせいか、手の平に鞘から剥離した塗料の欠片がこびり付いている。

「うわ。持ってきちゃった。どうしよう。戻りたくない……」

 かと言って、このまま勝手に持ち帰るのはどうにも憚れる。
 そもそもが己の好奇心が招いた結果ではあるのだが、さきほどのこともあり、どうにも一人で戻しに行く気にだけはなれなかった。
 結局のところ一旦叔母の家に戻り、彼に事情を説明して改めて着いてきてもらうという案に落ち着いた。きっと彼のことだ。快く受けてくれるだろう。
 薄く白む霧をかき分けて鳥居へ向かう。見上げた空はただただ青く抜けるように澄み渡っており、どことなく不思議な感覚だ。こういう天候もあるものなのかと彼女は思った。
 そうして鳥居と並んだところで、彼女の足が再び止まった。

「なに……こ、れ……」

 その言葉の最後は、の喉に張り付き掠れていた。
 鳥居の先に広がるのは、果てしなく続く下りの石階段だった。

2015/11/03 Up