
己の淵で微かに燻る記憶をいくら手繰り寄せてみても、叔母の家の近くに鳥居、ましてや神社が建っていた覚えはない。
その場で立ち止まったまま、少し離れた場所に見える鳥居を見つめて唯は首を捻った。
彼女が散策を申し出た際、彼からも特に鳥居について言及はなく、もしかしたら本当に地元の人間しか知らないのかもしれない。
唯も特にそういうものに強く興味を持つ人間ではなかったが、今の状況だ。どうにかして鳥居の近くまで行けないだろうかと思って辺りを見渡すと、ガードレールの切れ目に一見すると分かり難いが草木が断たれ道になっている場所があった。
もしかしたらあの鳥居まで繋がっているのかもしれないと、彼女は今一度腕時計に視線を落とす。まだ、時間は十分にある。
「……行ってみて、無理そうだった戻れば良いか」
すぐにそう結論付けると、人一人分空いた隙間に彼女は躊躇なく入っていった。
人の手が入っていない様子の割には、思ったより歩くのには支障がない道だったものの、高い木々に阻まれて肝心の鳥居はその姿を一旦消した。
そのまましばらく進んだが、一向に視界が切れる気配がない。彼女が振り返ると、入って来た場所が大分遠くに見えた。森の中にいるせいか、やけにその場所が白く輝いている。
戻るか迷ったが、反面今の状況に心躍らせている自分がいるのもまた事実で、余りある好奇心が彼女の足を先へ先へと進めていく。
更に数分歩いていくと唐突に木々が途切れ、そこそこ丈のある淡黄色の草が一面に広がる場所へと出た。彼女からそう離れていないところに、先程目にした鳥居が立っている。
草を掻き分けて歩く彼女の足に触れるその穂先は固い。まだ少し先だと唯は一瞬それに視線を落としてからすぐに鳥居に向き直った。
ようやく目的の場所まで辿り着くと、それは遠目から見るよりもずっと小さいことを知った。
朱塗りの塗装は至る所が剥げ落ちており、地の木目が見えてしまっている。そういった所はもれなく雨水が浸水しているためか、黒ずんで腐りかけてすらいた。その随分な荒れように、やはり人自体がこの場所へ訪れることがないのだろうと彼女は思った。
柱の側から見上げれば、ゆるく弧を描く笠木が目に映る。そこも朱の痛みがあるが、材木自体の損傷は柱に比べると少なく、しっかりとした造りをしていた。
物珍しから唯は柱の周りをゆっくりと歩きまじまじと眺めた。
「あ……何だろ。これ」
彼女の身長の高さより若干上の方に、損傷とは異なる傷があることに気付き凝らす。
確かにそれは風化による傷ではなかったのだが、刃物で切り付けたような跡が幾重にも重なっていた。あまりの執拗さに、何かを意図して潰したとさえ連想させるほどだ。
一体何があったのかは知らないが、少なくとも穏やかならぬ理由からだろう。思わず肌が粟立った唯は、振り切るように鳥居の向こう側を見やった。
石畳が続いており、突き当りにはどうやら石階段もあるらしい。鳥居の周辺の状態とは異なり、石畳の上は綺麗であり、それこそ生えていそうな雑草すらも見当たらない。そのアンバランスさが奇妙だった。
普段の彼女であれば、まずここで引き返すのが常だろう。だが、生憎と今は厄介な衝動の方が幾分か勝っており、もう少し、もう少しだけという声が己の中からしきりに響いている。
そっと鳥居から離れると、唯はそろりと奥へ向かって歩き出した。
石階段もよくある古い神社の苔生し黒ずんだものではなく、均等の取れた石で組まれており、とても安定していた。
段数は大体二十段ほどで、そこまで勾配もきついものではない。軽い足取りで上っていくと、彼女の予想を裏切って、すぐに大きな門が構えていた。
てっきり神社の拝殿あたりがあるのだろうとばかり思っていた唯は、足を止めてそびえ立つそれを眺めた。
正しい名称は彼女には分からないが、よく時代劇でみるような門構えのそれには、人一人が通れる小さなくぐり戸らしきものが設えてあり、そこがまるで彼女を招くかの如く開け放たれている。
門の表面も痛みが激しく、鳥居ほど執拗ではなかったが、所々に切り付けた傷が刻まれていた。どうしてこうも物騒なのか疑問は尽きないが、古い時代の産物がこうして残っていると考えれば、見る人によってはとても貴重な資料なのかもしれない。
彼女がくぐり戸越しに中の様子を窺うと、湾曲した通りの先に更に建物が見えた。やはり鳥居から至る先としては違和感を覚えるも、辺りを見渡してもこの門以外に繋がるこれ以上の道はない。
もう一度唯はくぐり戸に視線を戻した。一部だけが覗く屋根瓦を見ると、やはりと言うか剥がれ落ちているのが分かった。この先にある建物も相当に損壊しているのだろう。
それを確認すれば、好奇心に任せた子供じみた行動もいよいよ終わる。彼女は、ほんの少しだけ残念なような思いを抱えて門をくぐった。