カレイドスコーピオ

からの鞘

01.からの鞘 / 3

 自身が思っていたよりも、実際のところはすっと貪欲だったらしい。
 ゆっくりと目を開くと、既に外はすっかり明るくなっていた。視界に飛び込んできた障子にほの白く浮かび上がる木の葉模様を何も考えずに眺めていた彼女は、すぐにはっとして飛び起きた。
 慌てて枕元に置いていた腕時計を手繰り寄せると、既に七時を過ぎている。
 枕が変われば何とやらだが、全くもって自分には無縁だったのかと、手早く着替えたは廊下を急ぎながらやってしまったと頭を抱えた。

「すみません! すっかり寝過ごしてしまって……」
「いや良いよ。元々そのつもりで俺も声もかけなかったし。むしろここまで来るのに疲れない訳がない。それにしても、やっぱりちゃんと覚えているものなんだな」
「え?」
「その様子じゃ、ここまで迷わずに来れたんだろう?」

 味噌汁の入った鍋を掻き混ぜる彼にそう言われて、はそう言えばと驚いたように目を見開いた。
 昨晩、叔母と再会したあと、この先の詳しい話は明日にするということでも早々に床に就いた。もちろんその部屋も彼の案内があってこそで、台所の場所など聞くタイミングはなかった。
 それでもこうして迷わずに辿り着いたということは、つまりは身体が覚えていたという話なのだろう。

「まぁ、坊さんも明日にならないと来ないし、身内の人間もあとニ、三人来たら良い方だ。もしかしたら隣の人も来るかもしれないけど、それも良くて数人だ」

 彼は隣人と言ったが、その隣家の場所は到底徒歩で行ける距離ではないうえ、家人も相当な高齢だと聞いている。同地区であってもあくまで山間部に点在する家々は、ある程度の繋がりはあっても、物理的に密に繋がるのは難しい。叔母の住む地域は、いわゆる限界集落と呼ばれるものだった。
 二週間に一度訪れる定期宅配の人間に、玄関先で亡くなっていた彼女が早い段階で発見されたのは、不幸中の幸いだった。

「母さんも”限られた人間で自宅での家族葬で頼む”なんて遺言残してくれたもんだからな。全部終わったあとで親戚に説明して回る俺の立場も考えてくれよ。まぁそんな訳で、ちゃんにはせっかく急いで来てもらったのに、結局は時間が余ったという有様さ。そうだな。良かったら、後で母さんの部屋に行ってみなよ。着物とかあったはずだ。もし気に入ったのがあれば好きに持っていって良いから」
「いや、それは……」
「さすがに俺には必要がないからね。それにどの道、この家も処分するし」
「やっぱり誰も住んでないと、管理が大変ですからね」
「そうだね。本当に立派な家だけど、やっぱり一人で住むには広過ぎるし、何より色々と不便だ」

 そう笑う彼にどう反応して良いのか分からず、はとりあえず朝食の手伝いをしようと取り分けられた味噌汁の椀を盆に乗せていく。

「あ、運んでくれるかい? 部屋は……言わなくても分かるかな?」

 彼にそう尋ねられ、は少し考えたあと小さく頷いた。

 さすがに都会と違って空気は澄んでいるが、わずかに寒々しく感じる。秋口にはまだ少し早いかとも迷ったが、結局厚めのコートを着てきて正解だったようだ。
 なだらかな坂道を下りながら、は頭上を見上げた。
 青く茂った紅葉の葉が風に揺れている。紅葉もまだ先だが、その時期が来ればこの辺りの風景は見事なものなのだろう。
 朝食を終えて改めて叔母に挨拶をしたあと、彼に言われたように彼女の部屋を改める気など到底なれるはずもなかった彼女は、彼に断りを入れて辺りを少しだけ散策することにした。
 決して家に留まっていたくなかった訳ではない。ただ、叔母の白蝋とした顔を見ていると、どうにも居たたまれない気持ちになって、叫びだしてしまいたい衝動に駆られるのだ。
 いくら疎遠になっていたとはいえ、自分の親代わりに接してくれた人だ。忙しさを盾にこれまで何も連絡を取らなかった自分が、とても矮小な人間に思えてならなかったのだ。
 それなのにも関わらず、彼女は見送りの人間の一人としてを指名した。彼女の綺麗な字で綴られた遺言に理由は一切なかった。不思議でたまらなかったが、尋ねるべき相手は既に彼岸の人だ。
 その意味を自分で考えろと言うことなのかと、黙々と歩きながらはため息をついた。
 坂道の先の角を曲がれば、彼女の眼前にはただただ道が伸びている。
 車があれば一瞬だが、歩けば思ったよりも距離がある。散策と言えど周辺に目ぼしい施設がある訳でもなく、もちろんあてもなく進むつもりもなかったが、ひとまずは行ける場所までと足を踏み出す。
 腕時計に視線を落とし大体の目標時間を決めれば、後は進むだけだ。この一帯では全く役に立たない携帯電話などが入った鞄は部屋に置いてきたが、かえって身軽になってこれもまた正解だった。
 コートに両手を入れて真っ直ぐに前を見据えて歩けば、それだけで彼女の頭は徐々に空になっていく。
 そうしてしばらく歩いたところで、彼女の視界の隅に不釣り合いな色が映り込んだ。
 はっとして立ち止まりその方を見やると、昨晩一瞬だけ視認したあの鳥居の姿をとらえた。

2015/10/24 Up