カレイドスコーピオ

キノの旅

魔女の森 -She is a witch- / 9

 パースエイダーをカノンに持ち替えたキノは、アリシアの心臓に合わせた照準を逸らさないままゆっくりと彼女に近づいていく。
 二人の距離が一メートルほどまで縮まった時、彼は彼女に撃たれたであろうその人の相貌をようやく見ることが出来た。男だった。
 花を巻き込みながらうつ伏せに男は倒れていた。後頭部に銃創が一つ。彼は理解する前に死んだのだろう。手慣れている。それがキノの感想だった。
 彼はアリシアの足元に落ちていたライフルを拾い上げた。一見して良く手入れをされていたこれを彼女は先程ヘクセと呼んでいた。
 フードを取り払ったままのアリシアの金髪は、あっという間に濡れそぼっていた。
 キノにカノンを突きつけられていても全く動揺しない彼女だが、スコールは急速に体温を奪っていっているのだろう。その顔はみるみる青白くなった。

「フードを戻してください」
「ありがとう。出来ればこの方も動かしたいのだけれどよろしいかしら? スコールリーフが下敷きになってしまっておりますの」
「……えぇ」
「ご安心なさって。ヘクセ以外は連れてきておりませんわ。ご心配なら、わたくしとその方を先にお調べになってくださいませ」
「そうですね。僕も怪我をするのは困りますから、是非そうさせてもらいます」

 キノは男の死体を改めると、脅威になりうるものを全て取り払った。全てが終わってから、アリシアは男の身体を広場の外へ引き摺っていく。キノはその背後からやはり銃を下ろさないまま続いた。
 彼女は男の死体を適当に打ち捨てたあと広場へと戻り、折れた花を引き抜くなどして可能な限り場を整えていた。

「いつもこんなことをしているんですか?」

 しばらくその様子を眺めていたキノはそう漏らした。
 彼の視線の先には、あの男のレインコートが広げてある。血痕はすっかり洗われ、黒く焦げた小さな焼き跡だけが残っていた。

「はい。けれど、あんな質の悪いレインコートでは、いずれにしてもスコールに耐えられなかったでしょうね。それにしても意外ですわ」
「意外ですか?」
「えぇ」

 そう言ってしゃがみ込んだ姿勢のままアリシアは、キノに向かって顔を上げるとにっこりとほほ笑んだ。彼女の両手は泥と雨に塗れている。

「わたくしを撃つおつもりがないでしょう?」
「あぁ、今のところはそうですね。理由はどうであれ、あなたからは僕に対して殺意が感じられないですから。それに何となくこうなることも予想していましたし」
「まぁ、どうして?」
「簡単なことですよ。最初に僕に話してくれましたよね。この森から一度も出たことがないって。それなのに、キッチンには新しい調理道具や調味料がありました。それらを手に入れるには森を出て近くの国へ買いに行くか、この森に訪れた人から譲ってもらうかしかないはずです。それ以前に森に一人で住むなら身を守るものだって必要だ」
「そうですわ。いつも”譲ってもらって”おりますの。でも、あの方たちも無粋だわ。勝手に森を踏み荒らして欲しいものだけ我が物顔で奪っていく。ここはわたくしの国で、わたくしは魔女ですもの。ならば守らなくては。そうでしょう?」

 そう言って小首を傾げたアリシアにキノは静かに首を横に振った。

「僕は旅人だから分かりません。ただ、自分に害が及ぶのなら、同じことをするとは思います」
「ふふ。十分ですわ。さぁ、そろそろ帰りましょう。すっかり身体が冷えてしまいましたわ。戻ったら温かいスープでもご一緒していただけないかしら」
「そうですね。いただきます」

 アリシアは立ち上がると、男のレインコートに”譲ってもらったもの”を包み込み始めた。それが終わる頃には、キノもまたカノンをホルターに戻していた。ヘクセは荷物の多い彼女の代わりに、彼が持つことになっている。
 キノは最後に遠くに転がる男の死体をちらりと見てから、ログハウスに向かって歩き出した。
 雨足は再び強くなっていた。

「お気をつけて。キノさんもエルメスさんもどうかお元気で」
「本当にお世話になりました。アリシアさんもお元気で」

 霧雨の中、キノとアリシアは別れの挨拶を交わした。
 アリシアからは餞別にと、キノとエルメスが使ったレインコートをそのまま貰うことになり、彼が大事なものではないのかと尋ねれば、彼女はしばらくは必要ないからと笑った。
 山道に出るために、始めに通ったけもの道を今度は下っていく。そうして道に出てからコンパスで方向を確認した。雨足が弱まったおかげで、走るのに影響はなさそうだった。

「やっぱり道って言うのはさ、適当に固い所が良いと思うんだ」
「そうだね。でも僕は岩盤の上はあんまり好きじゃないかな」
「キノは乗ってるだけだから良いじゃん。もう泥も砂も飽きたよ」
「そんなことないさ。これでも腰がたまに痛くなるんだ」

 エルメスのエンジンの具合を確認しながら、ログハウスがあった場所へキノが視線を上げれば、そこはすっかり木々に隠れており再びその姿を見ることは叶わなかった。

2015/06/30 Up