カレイドスコーピオ

キノの旅

魔女の森 -She is a witch- / 10

「本当に埃っぽい国だ」

 口元を覆った緑色のスカーフを直しながら、キノはぽつりと呟いた。

「本当だよ。つくづく嫌になっちゃうね。ずっと身体のあちこちがこそばゆいや。早く噴水に行こうよぉ」
「分かってる。あと一日ぐらい居ようかとも思ったけど、もう補充も済んでるし少し休んだら出ようか」
「賛成ー」

 国民の誰もが口を揃えて国のシンボルの一つだと言うその噴水は、確かに他の観光場所とは一線を画していた。
 煉瓦で組まれた噴水の直径は百メートルほどもあり、中央から大きく競り上がった台座を囲んで、十二本の小さな噴水が取り巻いている。真上から見れば、まるでアナログ時計を模したような配置だ。
 キノはエルメスのスタンドを立てると、茶色の煉瓦の淵に手をかけて水面を覗き込んだ。噴水のために水面は絶えず揺れ、そこへ彼の帽子から細かい砂が零れ落ちていく。
 噴水の中央の台座には少年の像が立っている。彼の右腕にじゃれつくように小さな犬の像も添えられていた。
 キノは像を一通り眺めたが、すぐに興味を無くし身体にまとわりついた砂を叩き落とし始めた。

「この国も旅人は出入り口がばらばらなんて面倒だね」
「そうだね。でも、この砂から離れられるなら、もうどっちでも構わないや」
「舞い上がった砂が、マフラーに詰まる僕の気持ちも考えてよ」
「そう言うなよ。もう少しの辛抱さ」
「キノは良いよね。それがあって」

 キノは小さな包みを開けると、粉状に砕いたその中身を口に放り込み水を煽った。甘い味がじんわりと広がっていく。
 周囲の人々は、もれなく大きなマスクとゴーグルをしている。砂と風が付きまとうこの国では、これらと風土病とも言えるこの喘息の薬なしでは日常生活すら困難になるのだ。

「きっと彼女には、協力者がいたと思うんだ」
「協力者?」
「うん。僕たちが彼女の家に行った時、家を空けていたはずなのに暖炉が燃えていただろう。最初は不用心だなぐらいにしか思ってなかったんだけど。それに、僕たちが最初に出会った場所は、スコールリーフの群生場所とは全く正反対だった……まぁこれは、ほかにも咲いている場所があったのかもしれないけれどね。森から出たことがないと言った彼女の言葉には嘘は無かった。だとしたら、彼女の作る薬はどうやって国に広まったんだろうって考えていたんだ。それに、商人から”譲ってもらった”ものだけじゃ、生活だって大変だろうし」
「あぁ、なるほどねー」
「この国も前の国も、魔女に怯えながら、その魔女によって支えられている。この先も国民はそのことを知らずに彼女の薬を求めるんだろうね」
「明るけりゃ昼だね」
「……明るけりゃ月夜だと思う?」
「そうそれ」

「何だろう。騒がしいな」

 ふいにキノが顔を上げる。彼の視線の先に人だかりが出来ているのが見えた。
 エルメスのスタンドを外すと、キノはその人だかりに近づいていく。

「何があったんですか?」
「あぁ、旅人さん」

 人だかりの側にいた女性に彼は声をかける。大きなマスクとゴーグルをしていた彼女は、二、三度大きく咳払いをしてからくぐもった声で答えた。

「これから、国の男たちが死の森に棲みつく魔女を退治しに行くんだよ」
「え? 魔女、ですか?」
「あぁ、時々あの森を通る商人が行方不明になることがあってね。忌々しい魔女の仕業さ。噂によると、この国の風土病もその魔女のせいだって言うじゃないか」
「……その魔女の居場所は、もう分かっているんですか?」
「それは今から炙り出すんだよ。ほら!」

 彼女が指差す先にゆらりと細く白い煙が立ち上った。
 それらはみるみる内に膨らんでいく。

「まさか森に火を?」
「そうさ。元々曰く付きの薄気味悪い森だし、今頃は隣国側からも火が付けられているはずだよ。あ! 旅人さん!」

 彼女が言い切らない内に、キノは踵を返していた。
 そのままエルメスに跨がると、エンジンに手を伸ばす。

「キノ。こっちじゃないよ。旅人の出口は反対側だ。忘れちゃったのかい? 入ってきた場所からは外に出られないよ。まぁどっちみち今からじゃ間に合わないね。もう火の海さ」
「だけど……」
「何だ。キノにしては珍しいね。アリシアなら大丈夫だよ」
「どうしてそんなことがエルメスに分かるんだい?」
「夜中に少しだけだけど、キノたちがいない間に彼女と話をしたんだ」
「彼女と?」
「そう、”彼女”と。声は良く通るけど独特の癖があったから、もしかするとキノには聞こえなかったかもしれないね」
「?」

 キノは訝しげな顔でエルメスの言葉を待った。

「だって、モトラドに似合いそうなレインコートまで置いてあったなんて、少し出来過ぎていないかい?」
「エルメス? 一体どういう……そうか。そういう、ことか」
「うん。でも、彼女はそもそもモトラドじゃなかったけどね。だから僕とは違う。きっと彼女も魔女さ。大丈夫」

 キノは空を仰いだ。熱気を孕んだ風が、彼の頬を撫でていく。
 銀色に光るものが遠のいていくのをキノは見たような気がした。

「そうだね。行こうか。エルメス。この国はやっぱり埃っぽい。これからはもっと酷くなるだろうし」

 エルメスの返事を待たずに、キノは今度こそエンジンを回転させた。
 乾いた土が舞い上がったが、すぐに走り出したモトラドの後方に流れていく。
 キノの視界の隅に咳込んでいる人の影が映り込み、そして同じように流れていった。
 まもなくエンジンの音は遠ざかり、後には砂とも灰ともつかないものだけがゆっくりと降り注いでいた。

2015/06/30 Up