
ランプの明かりが暗い森を仄かに照らしている。
ログハウスを出たものの、当然ながら彼女の痕跡を辿るのは容易ではなかった。
(何だろう。胸騒ぎがする……)
キノはレインコートの裾からカノンに手を伸ばした。
雨の中、ましてやこの闇の中で万が一にも襲撃を受けようものならひとたまりもないだろうが、それを払拭するだけの確固たる自信が彼にはあった。
キノの目の間には二つの道が伸びている。一つは最初にログハウスへやってきた時のもので、もう一つはスコールリーフが群生する広場へと続いている道だ。もしかすると他にもあるのかもしれないが、少なくともキノはこの二つしか知らない。
彼は周囲を一度見渡すと、迷うことなくスコールリーフが群生する広場へ繋がるけもの道へ入っていった。その選択は彼にとって賭けに近いものだった。
しばらく歩いて、もうすぐあの場所へと辿り着くという頃、それは突然彼の耳に届いた。
重く、それでいて乾いた低い音。キノは銃声であることに気付き、素早く近くの木の陰に身を滑り込ませる。
銃声はその一発きりだったが、応酬は特に聞こえずまた森もそれ以上騒がない。
キノは浅く息を吐いてからランプを吹き消し、いよいよカノンと森の人をベルトから抜き出すと、レインコートの下で構えた。
音の調子から、放たれた距離はそこまで遠くはないようだが、それよりも深刻な問題が彼の頭を過っていた。
(ライフルか。場所が分からないと下手に動くのは危険だ)
相手の気配を探ろうにも、聴覚、視覚、嗅覚共にこの雨がキノの邪魔をする。
それは向こうも同じ条件だろうが、もしキノの存在を既に把握されていたとしたら、この上なく厄介な状況だった。
木々を遮蔽物にしながら、出来るだけ自分の回りに死角を作ることを意識しつつ、彼はスコールリーフの群生地へ向かってゆっくりと歩みを進めた。
この森はとにかく木々が密集している。仮に狭い木々を移動する目標物をこの条件下で狙うのは厳しく、また跳弾の危険性も遥かに増すだろう。もしもライフルで狙うとしたら、あの場所以外に絶好の場所はないはずだ。
これも彼にとって二度目の賭けだった。
そうして目的の場所へのすぐ近くの木まで辿り着いたキノは、影からそっと広場の様子を窺った。
そこに人の気配も争った形跡も全くない。不思議なことにランプの明かりがなくとも、まるで花自身が発光しているかのように白く浮かび上がっている。
今朝採取したばかりだというのにも関わらずそれは広場全体を元どおりに覆っていて、彼は僅かながら驚いていた。
じっとキノが花の群れを眺めていると、丁度彼から見て九時の方向の一カ所が黒く塗り潰されていることに気がついた。厳密に言えば、そこだけ白い花がまばらにしか生えていないのだ。
彼は慎重に木々の間を縫って、その場所がよく見える位置へ移動した。そうしてそこに倒れている人のふくらみをとらえた。それは緑色のレインコートを纏い、うつ伏せに倒れている。
(まさか……)
最悪の事態を予想しながらも、キノはその場を動くことが出来なかった。不用意に近づけば今度は自分がライフルの的になりかねないのだ。
どのくらい雨音を聴いていただろうか。キノの向かい側の木の陰から人影が姿を見せた。
長く伸びた木の陰に覆われて、姿は良く見えない。それはゆっくりとした動きで広場へ足を踏み入れた。その瞬間、キノの瞳に映ったのは緑色のレインコートだった。彼の目が僅かに見開かれる。
その人物の右肩からは身体に不釣り合いなライフルがぶら下がっていた。
キノは一旦木陰に身を戻してから、カノンをホルダーに戻し、今度は森の人を取り出した。
森の人には既にサイレンサーが取り付けてあり、彼は視線が絡まないように少しだけ姿勢を低くして顔を出すとスコープ越しに照準を合わせた。
相手はまだキノには気づいていないらしく、そのまま花を掻き分けて向かってくる。そうして倒れた人物のすぐそばで足を止めた。
覗き込み動かないことを確認してから、その人物はおもむろに身を屈めて腕を伸ばす。剥ぎ取られたのは緑色のレインコートだった。血がべっとりと付いているのがキノにもはっきりと見えた。
彼は視線をそらさないまま、トリガーに引っ掛けた指先に神経を集中する。この距離であれば、キノの方が有利だ。
血に濡れたレインコートは降り注ぐ雨に引き延ばされ、縞模様を描きながら薄くなっていく。それまで一心に向けられていたその人物の視線が、一転してキノへと向けられた。キノの指先が少しだけ揺れる。
すると意外なことに、相手は肩からライフルを滑り落とした。かしゃんと音を立ててそれは地面へ吸い込まれていく。
続くように左腕が自身のフードにかけられ外した。白よりも目につくそれにもキノは動じない。
「お待ちになって。わたくしはキノさんに何もするつもりはありませんわ。それにこの状況では、あまりにもヘクセとの相性が悪過ぎますもの」
そう言ってアリシアはくすくすと笑いながら両手を上げた。