カレイドスコーピオ

キノの旅

魔女の森 -She is a witch- / 3

「この森に入る前に立ち寄った国では、出会った人は口を揃えて、この森のことを”死の森”と呼んでいました」
「まぁ!」
「そこには魔女が住んでいて。時折、森を通る人間に襲い掛かっては殺してしまうそうです」
「わたくしが? そのように見えます?」
「……分かりません」
「ふふ。キノさんはとても正直な方ね」

 アリシアはくすくすと笑って、キノと自身のティーカップに二杯目の紅茶を注いだ。
 赤い紅茶が緩く渦を描く。

「それなのに、なぜわざわざそのような謂れのある森の中へキノさんはいらしたのかしら?」
「この先の国に行くためです。この森を通れば一日もあれば着きますが、もし迂回するなら山を越えなきゃならない。五日もかかってしまう」
「そう。安心しましたわ。魔女退治が理由ではなくて」
「僕にとっては、実際に魔女がいてもいなくても関係がないですからね」
「そうね。仰る通りだわ」

 アリシアが机の上に置いていた砂時計に目を向けた。
 彼女の髪の色とそっくりな砂が入っているそれは、もうすぐ下へ落ち切るといった具合だった。

「パンプキンパイが焼き上がる頃合いだわ。今晩はシチューにしようと思っているの。お嫌いかしら?」
「いえ、どちらも好きです」
「それは良かった。様子を見てきますわ」

 軽く頭を下げてアリシアは空いた皿を片手にキッチンへと急ぎ足で向かっていく。
 キノはちらりと視線だけでそれを追ってから、スコーンにジャムを塗りつけると口いっぱいに頬張った。

「ねぇ、キノ。そんなに気を緩めて本当に大丈夫なのかい?」
「うん」
「キノ?」
「本当に美味しかった。それにパイとシチューもすごく楽しみだ」
「……あーはいはい。そーですか」

「今度は、僕の方から質問しても良いですか?」
「えぇ、どうぞ」
「この家に着くまで間、アリシアさんは何度か”三日は森から出られない”というようなこと口にしていました。それは、どういう意味ですか?」

 皿に盛られたシチューがキノの前に置かれた。
 湯気が立ち上り、食欲をそそる香りが彼の鼻孔をくすぐる。

「まぁ、そのことをご説明するのをすっかり忘れておりましたわ」

 アリシアも自身の皿にシチューを盛り、キノの向かい側に腰を下ろした。
 いただきます。彼女はそう呟く。キノもそれに倣った。

「この森は、月に三日間こうして激しく雨が降りますの。特にこの日とは決まっていないのだけれど、決まって三日間連続して。明確には異なるようですが、別の土地ではスコールという自然現象と似ていると聞いたことがありますわ。言葉の響きがとても素敵だから、わたくしもこの特別な雨のことをスコールと呼んでいますの。そろそろ始まるかしらと考えていたところでこの雨でしょう。まず間違いないと思いますわ。だから薬草を採りに出かけた帰りに偶然キノさんたちを見つけたんです」
「薬草、ですか?」
「えぇ、こちらです」

 アリシアは立ち上がり扉のそばに置いていたあのバスケットを大事そうに抱えて戻ってきた。
 上にかけてある緑色の布が取り払われると、中にはいくつかの束に分けた二十センチほどの丈の草が並んでいた。
 それぞれの草の先端からは小さなスズランのような花がいくつもぶら下がり、花の中心には一センチほどの丸い種、あるいは果肉にも見える黄色いものが僅かに顔を覗かせていた。
 しげしげと興味深げにそれを見つめるキノに、アリシアは一つ花を摘み取り、その黄色の玉を引き取ると彼に手渡した。

「綺麗ですね。種? いや、実……でしょうか?」
「どうぞ。そのまま召し上がってみてください」

 キノは、エルメスが抗議の声を上げるよりも早く口へと放った。
 意外と弾力のあるそれを奥歯で噛みしめると、じんわりと甘い味が口いっぱいに広がっていく。

「すごく甘いです。でも、なんだろう。全然果物っぽくない。まるで砂糖みたいな味だ」
「このスコールリーフは、この森にしか自生していなくて、普段は蕾すら緑の蕾に覆われているんですの。そして、三日間の雨の間しかこうして実を付けません。この実を一週間ほど乾燥させてから荒く砕き煎じて飲めば、この地域特有の砂塵による喘息に良く効く薬になるんです」
「へぇ。とても貴重なものなんですね」
「さっきも申し上げましたが、スコールは普通の雨と違ってとても強くてまるで氷のように冷たくて、不用意に当たっているとみるみる内に体力が奪われて動けなくなってしまいます。でも、そんなことは森の外の方は知らないのでしょうね。わたくしもこのことを話すのはキノさんが初めてですもの。だから、運悪くこの雨に遭遇してしまった人が命を落としてしまう……ここが”死の森”と言われてもおかしくないかもしれませんわ」
「僕たちは運が良かったんですね」
「えぇ、少なくともあの場所にずっといたら、きっと危なかったと思います。キノさん。こちらをどうぞ。次の国でも今の時期は特に流行っているはずですわ」
「……ありがたくいただきます」

 手渡された緑色の小さな布袋をキノが開くと、中にはアリシアが話した通り乾燥した黄色のスコールリーフの実がガーゼに包まれ入っていた。

2015/06/30 Up