
「もしかして、旅人さんかしら?」
一見してキノと同じくらいの年頃に見えるその少女は、深緑色のフードのついたレインコートを身に纏い、右手には同じく緑色の傘をさしていた。そのいでたちは、まるで少女そのものが森に深く溶け込んでいるかのようだった。
彼女の左手には小ぶりのバスケットがぶら下がっているが、それもレインコートと同じ素材の布で覆われており、中に何が入っているかは全く分からない。
「まぁ、こんな時にお可哀想に。この森は少々気難しいところがあるけれど、決して旅人さんを嫌っているわけではないの。ごめんなさい」
キノの警戒には全く気付いていない様子の少女は、傘を畳んで滴を払い落とすとフードをずらした。その場に不釣り合いなほどの艶やかな金髪が揺れながら覗いた。
少女は恭しく頭を下げると、キノに向かってにっこりと微笑みかけた。
「初めまして、旅人さん。もしお困りでしたら、わたくしの家においで下さいませ。もちろん、そちらのモトラドさんも是非ご一緒に」
「へぇ、僕がモトラドだってよく分かったね」
「えぇ。だって、モトラドは空を飛ばないと昔からそう決まっておりますもの」
「あぁ、なるほど」
少女は声の調子も笑顔も崩さないまま「それと」と付け足した。
「旅人さん。そちらをどうかお納め下さいませんか? わたくしを撃ったとしても、しばらくの間はこの森から旅人さんは決して出られませんもの」
草木の間から覗いている茶色の土は千切れ千切れに森の奥の方へと続いていて、注意深く進んでいかないとすぐに見失ってしまいそうだった。
そんな道とは到底呼べない道しるべを頼りに、細い森の切れ間を縫いながら少女が先立って歩いていく。変わり映えのしない風景がしばらく続いたところで、ふいにキノの視界が開けたかと思うと一軒の小さな家に辿り着いた。
まさに森の中の隠れ家というような言葉が似合うそれは、幾本もの太い木柱で組まれたログハウスだった。
一枚板で出来ている扉を少女は引き開くと、扉が閉じてしまわないようストッパーをかけてからキノを手招きした。
少女がエルメスも一緒にどうぞと勧めたため、キノは礼を言ってから入口である程度の水気を払ってからエルメスを押して中へと足を踏み入れた。
彼はぐるりと室内を見回す。
まず、向かって左の壁際に暖炉があり、薪が赤々と燃え上がっている。そして、その近くにロッキングチェアが置いてあった。そこからそう遠くないところには、二人掛けの木製のテーブルセットも見える。更に奥の方に、ソファーと小さなテーブル、キッチンなどの水回りがあるようだ。
入口近くの右手には、上に向かって小さな階段が伸びており、そこにもある程度の空間が確保されている。二階建てというよりは、ロフトに近い造りなのだろう。
見た目以上に、ずっと中は広いという感想をキノは口に出さずに述べた。
壁際でキノがエルメスを固定する様子を眺めていた少女は、お茶を煎れてくると彼に言い残して奥の方へと姿を消した。
「良かったね、キノ。この雨の中、泥だらけの惨めな姿で寝ることにならなくて」
「まだ分からないよ。”あの話”がもし本当なら、これから僕たちは雨なんかよりもっと悲惨な目に遭うかもしれない」
声を抑えてキノが囁くと、早々にトレイを持った少女が戻ってくる。そして彼をテーブルへと誘った。
「キノさんはエルメスさんと世界中を旅していらっしゃるんですね! それは楽しそう!」
少女はキノの話に楽しそうに笑みを零して、紅茶の注がれたティーカップを口に運んだ。
「アリシアさん。先ほども仰っていましたが……本当にあなたは、これまでこの森から一歩も外に出たことがないんですか?」
「えぇ。生まれてから一度も。わたくしにとってこの森が国そのものですわ」
アリシアはティーカップを置き、焼き上がったばかりのスコーンに手を伸ばした。そのまま半分に割ると、小瓶に詰められた赤いジャムを少し盛ってから頬張る。
美味しい。小さくそんな言葉が溢れた。
「キノさんもどうぞ……毒なんて一切入っておりませんわ。心配しているのでしょう? わたくしがこの森の”魔女”ではないのかと。森の外では、わたくしはそんなにも非難されているのかしら? そのお話も是非お聞かせくださいませ」
キノは手元のティーカップに視線を落とした。
やけに赤い紅茶が、小さく波紋を作っている。
「どうするのさ。キノ?」
少し離れた壁際から、エルメスが興味なさげにそう尋ねた。
彼は、ちらりとそんなエルメスを一瞥してから、ゆっくりとティーカップを口元に寄せた。その様子にエルメスが「あーあ」とまた一つ淡々と重ねる。
そのままこくりと一口嚥下すると、ふっと小さく笑った。
「とても美味しいです。スコーンもいただいて良いですか?」
「えぇ、もちろんですわ。この野いちごのジャムも昨日煮たばかりのものですの。スコーンにも紅茶にも良く合いますわ」