カレイドスコーピオ

進撃の巨人

燭火 / 8

(あー、しくじった)

 とめどなく溢れる血は生温いのに、身体の芯は確実に冷え切っている。それなのに目立った痛みはなく、そんな不思議な感覚を彼は味わっていた。
 かろうじて振り下ろすことが叶った右手が、相手の眼球の中心を捕らえ、それによって幸運にも巨人の足止めに成功した。
 反動で巨人の口が端から零れ落ちたものを見て、リオンはあからさまに嫌なものを見たという顔をした。

「リオン班長!」

 ミカサの刃が確実にうなじを削ぎ落とす。その衝撃は彼の身体にも伝わり、リオンは堪らずぐっと小さく呻いた。
 彼女はぐらぐらと揺れ動く巨人の額を蹴りうつ伏せに倒れないように誘導する。そのおかげで巨人を逆に下敷きにする形となり瓦礫への直撃をリオンは免れることが出来た。
 迷うことなく地面に降り立った三人は、リオンの身体を素早く抱えると屋根の上に戻る。彼は、青褪めたエレンたちの顔を見るなり不敵な笑みを浮かべた。

「お前ら、揃ってなんつー顔してんだ」
「リオン班長。まずは怪我の手当てを……」
「アルミン、構うな。大丈夫だ」

 巨人の唾液と血に塗れた足にリオンは視線を一瞬落としたが、そんな怪我の状況よりも、三人の変わらぬ視線にうんざりしたように不快感に満ちた顔をする。

「お、俺が、俺がリオン班長を支えます。だから一刻も早く本部に戻りましょう!」

 エレンが、再び彼の右肩を自身に乗せようと屈めば、彼は腕を大きく振ってそれを跳ね除けた。

「女子供ならまだしも、大の大人をぶら下げて飛ぶほど、立体機動装置は甘くねぇよ。失速して二人で共倒れするのがオチだ。それより、俺がここを引き受けるから、エレン、お前が中心になって本部に戻れ。もう新たな巨人が何体もすぐそばまで来てる」
「何言ってんですか! 俺たちもここに残って戦います」

 エレンの言葉に、ミカサもアルミンも頷き刃を抜く。
 それを見た瞬間、これまで飄々とした様子を崩さなかったリオンを纏う空気が変わった。

「馬鹿言ってんじゃねぇぞ。こんなにひっきりなしに巨人が押し寄せてんだ。もう壁は完全に壊されている上に、先陣隊は壊滅したとみて間違いねぇ。それに、もうここには生存者はいない。与えられた任務は終わった。後は生きて本部に帰すのが俺の役目だ」
「だったら、リオン班長も……」
「アルミン!!」

 リオンが叫んだ。睨みつけるような鋭い眼光がアルミンを貫き、彼もそして残りの二人も閉口する。
 数秒間リオンとアルミンは互いに視線を交わしたあと、アルミンは強く口を結び刃をケースに収めた。
 彼の行動に驚いたようにエレンもミカサも疑問を口にする。

「……エレン、ミカサ。本部に戻ろう」
「アルミン! お前まで何言ってんだ!」
「エレン。これは、リオン班長の命令だ」
「駄目です」

 二人のやり取りに割って入ったのは、ぽつりと零れたミカサの声だった。

「まだ、西区のはずれの木の周辺を確認していません。全部終わらない内に戻るわけにはいかない」
「ミカサ、お前……」
「私たちはそこを回ってから本部に戻ります。それが、私たちの任務です」

 畳みかけるようにミカサはそう言うと、リオンの返答を待たずに立体機動装置のトリガーを強く握る。
 戸惑った表情を浮かべているのは、リオンだけではなかった。

「必ず確認します。だから、どうか――」

 ミカサの表情のない瞳が彼を見下ろした。
 彼は見開いた目を細めるとふっと息を漏らす。それから「頼む」と小さく答えた。

「行こう。エレン、アルミン」
「ミカサ。木の周辺って一体何の話なんだ?」
「あとでアルミンには説明する。もうあまり時間がない」
「エレン!!」

 リオンがエレンを呼び止める。
 振り返るのと同時に、彼の目の前へ光を纏いながら飛んできたものをエレンは咄嗟に受け取った。

「エレン、頼む。あいつがもしまだそこに残っていたら、どうか助けてやって欲しい。あいつは俺の――」

「あー、しくじった」

 混濁しかけた意識のまま壁伝いにようやく立ち上がったリオンはそう一人呟く。だが、その表情はこれまでよりもずっと晴れやかだった。
 肩から切断された左腕と、同じく左膝から下の左足からの出血は幸いにも少なくなっていたが、有り余ると自負する彼の体力を奪うには十分過ぎた。
 巨人が近づいてくる足音がする。こんな小さな人間一人だろうと巨人は目ざとく見つける。

(あいつら実は、犬もびっくりなとんでもねぇ嗅覚してんじゃねぇ?)

 そんなかつての相棒の言葉を唐突に思い出し、彼は思わず笑い声を漏らした。
 瞳を閉じてその気配を感じていると、眼底の底からにわかに揺らぐ。どこかで見覚えのある影に、すぐにそれが燭火なのだと彼は気付く。
 己にはまだこうして燃えさかる火種があるのだと感じるだけで、彼の凍えた芯が融解していくようだ。不思議と意識がはっきりとしてくる。

「二体、か」

 右手をどこか確信を持って握り締めれば、彼の予想通り右のフィンが回転する音が響いた。

「まだ、ツキが残ってると思って良いんですかねぇ。これは」

 地面を踏みしめる大きな足音は、直ぐ隣の通りから響いてくる。まもなく長い影が彼の頭上を覆った。

「どうやら神様とやらは、俺を簡単に殺してくれそうにないらしいぜ。リヴァイ兵士長。俺はこんな奴よりも、アンタと一度手合せ願いたい」

 リオンの唇が吊り上る。
 ぎらぎらとした彼の目は、その見下ろす顔を睨み上げていた。

2013/08/19 Up