カレイドスコーピオ

進撃の巨人

燭火 / 3

 一通りリオンの主張を聞いたピクシスは、緊張した表情を浮かべ返答を待つ彼に対して、ふと目元を和らげた。

「トライバル憲兵兵。お前の言わんとすることは分かった。その件はワシから憲兵団の方に話を通しておこう」
「ま、待って下さい。ピクシス司令官が自らですか!? そんな特例、今まで聞いたことがありません。第一、ストヘス区から派遣された憲兵団は内地安定のため緊急帰還することが先程決まったと……」

 ハンネスが信じられないと言った目でピクシスを見れば、彼はただ緩やかに笑うばかりだった。
 そんな彼の言葉にリオンは思わず両手を強く握り締める。

(内地安定だと? 単に巨人と戦って死ぬのが怖いんだろ。どいつもこいつも自分の身が一番可愛いからな。今の生活水準さえ守れるなら、そのために誰かや仲間が死のうがどうでも良いんだろうよ。このままじゃ、遅かれ早かれ人類が滅びるのも時間の問題だ……いや、そんな先のことはどうでも良い。今はストヘス区の区民退避が第一だ。あいつは……あいつは無事逃げたんだろうな?)

 意図して考えないように努めていた感情がリオンの奥底でにわかに揺さぶられ、彼は内心舌打ちをする。
 巨人の掃討も重要だが、何よりも今の状況では区民の退避が最優先される。前衛壁が破壊され、巨人たちが侵入してきてから既に三十分程度が経っていたが、壁から彼が危惧している場所までの距離は離れている。避難するには十分な時間があるはずだった。
 大丈夫だ。そうリオンは結論付けて、浮き上がった思考を頭の片隅に追いやる。
 私的感情は押し殺さなければ、いずれ自身の弱みとなってかえってくると言うことを彼は良く理解していた。

「最悪なことに、実戦経験に富んでいる調査兵団は今朝から壁外調査に出ておる。帰還命令の伝令を出しはしたが、間に合うかはどうかは分からん」

 ピクシスは僅かにため息を吐いた。
 そもそも、伝令自体が彼らのもとに無事辿り着くのかすら危ぶまれることは、言ってしまえばこの閉鎖された箱庭の中では不良な常識だった。
 一歩壁の外へと踏み出そうものなら、巨人はどこからともなく人類の目の前に現れ襲い来る。巨人との力の差は圧倒的であり、実践を重ねた調査兵団ですら僅かな油断から落命することも珍しくなかった。
 調査兵団へ向けて放たれた伝令も、辿り着く前に巨人の腹の中におさまっているかもれしないのだ。

「駐屯兵団だけでは、巨人に対して戦力も時間がないのもまた事実。だが、お前が言うように、シガンシナ区の悲劇をまた繰り返してはならんのじゃ。ウォール・ローゼが突破されれば、今度こそ取り返しがつかなくなる。ここは、どれだけの犠牲が出ようとも必ず死守する必要がある。ハンネス駐屯部隊長よ。特例なら、この男が調査兵団への転属が決定したことも、また特例中の特例。今更の話ではないかのう」

 押し黙るハンネスにもう一度ピクシスは目を綻ばせ、リオンに向き直る。
 そして、一転して真剣な眼差しで彼に尋ねた。

「リオン憲兵兵。これまでの巨人の累計討伐数は?」
「0です。これが、壁の中の現実です。自分でも情けなくて吐き気がします」

 到底上官に向けてとは思えない吐き捨てるような彼の言葉に、周囲がぴりと緊張感を帯びる。
 そして、更にそこへ傷を刻むかの如く、前衛壁のある方角から建物が崩れる音が響き渡った。僅かに強くなりだした風に混じる硝煙と土煙の匂いが濃くなっていく。
 そんな中でも一切動じることもなく、強い眼光を湛えたまま彼の瞳の奥に揺らめくものを見据えて、ピクシスはただ静かに頷いた。

「トライバル憲兵兵。今回の掃討作戦に加わることをワシが許可する。だが、お前をすぐに前線に出すわけにはいかん。まずは一般区民の救出と援護に尽力せよ。その成果如何で、前線の戦闘にも加わってもらう」
「……はっ!」

 敬礼を解いたリオンはハンネスを見やる。ピクシスの許可が下りた以上、仮初めとしてもリオンの上官はハンネスと言うことになる。
 そうして指示を待つ彼に、ピクシスの言葉が重ねられる。

「幸か不幸と呼ぶべきか、昨日訓練を終えた第104期訓練兵がおる。彼らも立派な戦力じゃ。既に複数の小隊に分けてある。お前はその中の一つを担当してもらおうかの」

 リオンが姿を見せた瞬間、三人は敬礼の姿勢を取った。それに応えるように彼も強く右拳を胸に添える。

「ハンネスさん! いえ、ハンネス駐屯部隊長。この人は……?」

 一人の少年が、リオンのジャケットに刻まれたエンブレムを見て、あからさまに反応を見せた。
 彼らの簡単な情報と訓練期間の成績は、既にハンネスから受け取り頭に叩き込んでいる。だが、反対に三人には何も告げられていないらしい。
 訓練期間中に彼らが憲兵団という存在がどういうものであるのかと、噂は色々耳にしているはずであり、こんな状況下で、駐屯兵にただ一人混じる自分は奇異に映っているのだろうとリオンは思った。

「俺はリオン・トライバルだ。俺のことはリオンで構わない。疑われているように今は憲兵団員だが、上官の許可で今回の掃討作戦に加わることになった。お前こそ名前は?」

 すいと目を細めてリオンが尋ねれば、少年が口を開く。

「エレン・イェーガー……です」
「そうか、宜しくな。エレン」

 にっとリオンは笑ってみせるが、エレン・イェーガーの瞳は彼の先にある前衛壁へと向けられていた。

2013/08/19 Up