カレイドスコーピオ

インビジブル

11.全国大会 / 32

「もっと、早く来ると思ってたよ」

 事前の連絡もなく突然病室を訪れた仁王に、幸村はさして驚きもない様子で笑いかける。
 彼の病室の部屋番号はこの前とは異なってこそはいたが、相変わらず個室で院内とは思えないつくりをしていた。
 閉め切られたカーテンが端が緩く揺らめいている。どうやら窓が開いているらしい。日は落ちて間もないものの、そこから吹き込んでくる風はわずかばかり冷たい。
 幸村はまるで仁王が来ることを待ちかねていたかのように、出入り口側に向かってベッドの上に腰を下ろしていた。

「調子はどうじゃ?」
「見ての通りだよ……十分とは言えないかな」

 本人が言う通り幸村の顔色はほの白く、疲弊を滲ませている。
 だが、その一方で、口ぶりもそれに見合った仁王を見据える眼光もしっかりとしていた。

「あと十五分くらいで回診の時間だから、答え合わせをするなら早めにしないとね」
「それだけあれば十分じゃ」

 そう言って仁王は幸村から視線を剥がすと、近くにあったソファーに一旦座る。
 彼が座したことで二人の視線は交わらなくなったが、仁王の目線のちょうど先に洗面台の鏡があった。どうやら、両端が起こせるようになっていて、三面鏡としても使えるタイプの物らしい。
 仁王は鏡に映り込んだ己の姿を少しばかり眺めた。それから、軽く息をはくと立ち上がり、鏡のそばに寄ると向かって左側の鏡面を幸村のベッドが映り込むように傾けた。
 そこに彼の姿はなかった。
 仁王は表情を変えずに鏡を元の位置に戻すと、再び同じように傾けた。今度は、穏やかな笑みを浮かべた幸村と目が合った。

「不思議だよね。これっぽっちもそんな気なんてなかったんだ」

 あの瞬間まではねと、彼はそこで仁王と同じく短く息をはいた。
 三面鏡に映える幸村の輪郭ははっきりしていたが、存在自体は酷く曖昧で、ともすればすぐにでも消えてしまいそうに感じられた。
 いつからだったのだろうか。仁王はそればかりを考えていたが、そもそも彼とこうして面と向かって話をする機会に最近は恵まれていなかったことに気付いた。

「別に仁王の話を疑っていたわけじゃない。ただ、この目で見て、感じない限り俺自身が理解できなかったってだけなんだろうけど、やっぱりいつまで経っても、自分だけが蚊帳の外っていうのは、分かっていても寂しいものなんだね」

 幸村はベッドから立ち上がると、カーテンの隙間に手を差し入れる。すぐにぱたんと音がして窓が締められた。室内の密閉度が上がり、にわかに張りつめる。
 彼はそのまま元の場所へは戻らずに、ベッドのふちに腰を掛けるようにして仁王に向き直った。
 座りが悪いのか何度か態勢を直していると、彼の肩足からするりとスリッパが抜け落ち、乾いた音を立ててリノリウムの床で弾けた。呼応するように仁王が鏡越しではなく幸村の方を見やると、彼は照れながら足先でそれをすくい上げた。

「いつ、合わせ鏡をした?」
「関東大会で、俺が入院してた時だよ」
「思ったより前じゃのう。何日目まで試したんじゃ?」
「四日目まで」

 そこで幸村は黙り込んだ。
 彼の言葉から、少なくとも合わせ鏡が何らかの形で成功していたことは読み取れたが、その過程について口にするのをまだ躊躇しているようだった。
 だが、仁王も仁王で、言葉にこそしないものの引くつもりは全くないらしく、ただまっすぐに彼を見つめていた。
 そんな彼の姿に幸村は苦笑を浮かべて、分かってると漏らしてから話を続けた。

「さっきも言ったけど、合わせ鏡をやるなんて全然考えてなかったんだ。あの時、踊り場の鏡が割れた時、砕けて重なった沢山の鏡の破片がすごく綺麗だったんだ。差し込んできた日が当たると、ギラギラと光ってね。目の奥で白黒の残像になって残るくらい鮮烈だった。そのたくさんの光の影で、何かが見えた気がしたんだ。初めは仁王たちが割れちゃったんじゃないかってすごく焦ったよ。だけど、さんの怪我を見た瞬間にそれどころじゃないって思い直して、あとで確かめようと思って小さな破片を一つだけ取っておいたんだ。仁王に話そうとも思ってたんだけど、あれから慌ただしかっただろう。結局俺も入院しちゃったしね。だけど、家に置いてきたと思ってた破片が、入院の荷物に紛れていたのを見つけて、そういえば踊り場の鏡のことよく知らないなって調べ始めたのがきっかけ。後は仁王の予想通りだと思うよ」

 幸村が何かを手にしてソファーに歩み寄り仁王の向かい側に座った。それから手のひらほどの大きさの巾着袋をテーブルに置く。
 仁王は黙って手に取ると、中身を取り出した。和紙に包まれたそれを慎重に取り払うと、鏡の破片が姿を見せた。

「真くんにねだられた時に、もっと早く渡すべきだった。ごめん……仁王?」

 仁王の様子に、幸村がどうしたのかと眉を寄せた。
 彼は手中の破片に視線を落としたまま呟く。

「幸村。これは、踊り場のあの鏡じゃないぜよ」

2017/07/11 Up