カレイドスコーピオ

インビジブル

10.ワイルドカード / 8

無川さんって、何か雰囲気ちょっと変わったよね?」

 ベッドの上でうつ伏せになり、ノートパソコンで本日取材した分の記事を書いていた藤ヶ谷が、ふと何となしにそんなことを呟いた。
 同じく自分のベッドに腰掛けて本を読んでいたは、不思議そうに首を傾げる。

「雰囲気ですか?」
「うん。上手く言えないんだけど、少なくとも去年とは違うなーって。ほら、去年無川さんが賞取った時、私、取材申し込んだじゃない。覚えてる? あの時と比べると、ずっと焦点距離が短くなった感じかな? あ、もちろん悪い意味じゃないよ」

 藤ヶ谷の言葉を辿るように、は記憶を遡っていく。
 確かに昨年、が佳作を受賞したことで部内がにわかに盛り上がった最中、新聞部から記事にさせて欲しいと声をかけられてはいたが、結局は断っていた。
 そうか藤ヶ谷だったのかとが納得していると、彼女がくすくすと笑う。

「今だから懺悔するけど実を言うとね、去年佳作受賞の情報を入手してから、美術部について色々調べてたの。その時から無川さんって不思議な人だなってずっと思ってた。こういうのを芸術肌って言うのかな? いつも静かなんだけど、絵は生き生きしてて真逆なの。多分、絵を描いてる時の無川さんが素なんだろうなって感じてたんだけど、ファインダー通しても良く分からなくて。んーやっぱり上手く言えない。こんなんじゃ記者失格ね。ほら、私って、自分で言うのもあれだけど、こんな性格でしょ。だから、無川さんみたいな空気持てる人って良いなって思ってて」

 藤ヶ谷はノートパソコンを閉じると、サイドテーブルの上に置いた。
 そしてのベッドに近寄り、彼女の隣に腰を下ろす。

「ね。すっごく今更だから、どこで言おうかなってタイミング迷ってたんだけど、私と友達になってくれない?」
「え?」

 突然のことにが返事を返せないでいると、藤ヶ谷がにっこりと笑う。

「私のことは、空で良いよ。私もって呼んでも良いかな?」

 一瞬、の頭を不安が過ぎったが、彼女は結局同じように笑って頷いた。

 まるで夢から覚めるような感覚では目を開けた。
 真っ先に飛び込んできた風景に、彼女は自分の置かれた状況を理解する。
 は椅子に座ったまま、目の前の壁に掛かる額を見据えた。
 日常の始まりには必ず忘れてしまうオルゴールのメロディーが、この時はなぜか口ずさめそうなほど鮮やかに頭の中を巡っていく。やがて、曲が一巡した頃に彼女は立ち上がると、額へと歩み寄った。

「どうして? 号が変わってる……」

 それは、明らかな異変だった。
 今まで見てきた額の大きさはそこまで大きいものではなく、横幅が30センチメートルほどの4号サイズだった。ところが、彼女の目の前にあるのは、横幅が100センチメートルほどもある40号サイズのものだったのだ。
 それだけではない。いくら待てども影絵の上演は始まらず、は前回の夢を思い出しそっと表面に触れた。
 やはりそこは柔らかい紙で覆われており、彼女は一思いにそこを破り取る。
 白い部屋は変わらず広がっていた。
 ところが、今となっては曖昧になってしまったが、仁王に良く似ていたと記憶している少年の姿はなく、また部屋もどこか薄暗い。

「これなら向こうへ行けそう」

 これだけの大きさであれば、額を通して向こう側へ行けるかもしれない。そう思ったは縁の縁に手をかける。
 額から隣の部屋まで、二メートル程度離れている。まるで短い通気口のようで、これも以前と異なっている点だった。
 全身を使って額の中へと滑り込み、狭い空間を匍匐前進の要領で進んでいく。程なく向こう側へと辿り着いたものの、このままでは方向転換が出来ず、頭から落ちる羽目になってしまう。
 どうしようかと焦っていると、どうやら向こう側の壁には梯子がかけてあり、彼女は何とかそれを利用して降りることが出来た。
 ほの白く光る部屋は、が元々いた部屋と同様にがらんとしていて、今しがた彼女が潜り抜けてきた額のちょうど向かい側に、似たような額がかけてあった。
 がそこへ近づいてみると、やはりそっくりな金色の装飾が施された4号の額があり、硝子は嵌っておらず、今度は一面に黒色が広がっている。
 黒い色画用紙だろうかと、はこれまでと同様にそこへと手を伸ばした。

「ひっ!」

 表面に指先が触れた瞬間、は掠れた悲鳴と共に思わず手を引っ込める。
 ねちょりとした生暖かい感触は固まりかけた油絵の具のそれに近く、彼女が視線を落とせば、指先は赤黒く汚れていた。

――戻って。

 瞬間、微かに聞こえてきたのは、自身から発せられたものではないの声だった。彼女は反射的に顔を上げる。
 そして、目の前の額から這い出た赤黒い手を見て、の思考は停止した。

――早く。

 先程よりもはっきりと聞こえた声に弾かれるようにして、は潜り抜けてきた額へ走り出す。
 背後からあの手が真っ直ぐに伸びてくる鮮烈なイメージが頭を過ぎったが、必死に押し退けてなりふり構わずに梯子へと飛びついた。
 暗い部屋へ戻る際、今度こそ頭から落ちる不安定な姿勢で着地してしまい強かに身体を打ったが、痛みに呻く余裕すら彼女にはなかった。
 ばくばくと主張する心臓を宥めていると、背後からがたんという激しい音が響く。これでもかと肩を震わせて額の方を見れば、それは壁から外れ床に転がっており、額を通して広がっていた穴もすっかり消えていた。

2014/03/02 Up