
唯自身が思わず固まるほど、両足首の様相は酷いものだった。
女生徒の手が食い込んでいた場所は赤紫色に皮膚が変色し、生々しい爪痕が数本くっきり残っている。それでも不思議と痛みはそれほどなく、むしろ転倒した時に打った肩や二の腕の方が痛いと感じていた。
「思ったよりは酷くないのう。お前さん運が良いぜよ。ちゃんとあれを持っとったみたいじゃな」
「はい。でも消えちゃいましたけど」
「消えた? そうか……」
仁王が声を抑えて囁くように話すのは、ベッドにいる何も知らない国舘を気にしてのことだろう。
それでなくとも今の彼の警戒心は、仁王の素性を僅かでも知っている唯に対する比ではなかった。
「こいつはどうやら完全にお前さんに興味が向いていたみたいじゃ。国舘も強く掴まれてはおったが綺麗に抜けとって問題ない。他の奴らは?」
「本気で掴まれたのは私だけです」
唯も倣って可能な限り声を抑えて、教室で起きたことを仁王に説明した。
時折質問されることはあったものの、基本的に彼は話を黙って聞いていた。
「そうか。大体の状況は分かったナリ。さて、次はお前さんの番じゃ。このまま少しじっとしときんしゃい」
そう言って仁王が鞄より黒い名刺入れを取り出した。開いてそこから一枚の小さな紙をつまみ上げる。
白い和紙のような質感を持つそれを見て、唯はまるであぶらとり紙みたいだと思いながら、一体これから何をするつもりなのだろうと彼の様子を見つめていた。
紙には何やら表面に小さな黒い文字らしきものが書かれているが、唯の位置からはよく見ることが出来なかった。
仁王はそれを人差し指と中指の間に挟み、そのまま唯の傷口を撫でるように滑らせる。一瞬ざわりと肌がざわつく感覚があったかと思うと、ほのかに残っていた火照りが落ち着いていく。
言葉に然り、態度に然り、やはり仁王が施すものは全てひんやりと冷気を帯びているように唯には感じられた。
一分ほどそうした後、彼はもう片方の足も同じく繰り返す。終わった頃には、足の痣は見るからに薄くなっていた。そして、反対に白かったはずの紙は、まるで痣を写し取ったように僅かに黒ずんでいた。
思わず感嘆を漏らした唯に、仁王は目を細める。
「普通の怪我なら、こうはいかんぜよ。これは霊によってつけられた傷だからこういう処置が効く」
「どうやって普通の怪我と、その、霊が付けたものって見分けるんですが」
「一目見れば分かるナリ。お前さんにもその内、嫌でも分かるじゃろうて」
「そ、そうですか……」
「傷とか物理的に何かを残すことが出来る霊は、内に強い思いを抱えていることが多いぜよ。一時、ホラー映画のブームが起きたことがあったじゃろ? あれに出てくるのなんか正に典型的ナリ」
くしゃりと仁王が紙を乱暴に握り締める。そしてそのまま、まるで普通のごみを扱うように制服のポケットに突っ込んだ。
「それ故に、本来は思念の主体であるはずの自分自身が、逆にその思念に囚われる。そうして最後には、その場所から抜け出せなくなるんじゃ。いつまでも」
遠くを見るような目をして話す仁王に、唯は戸惑いを覚えながら彼の言葉に耳を傾ける。
ところが彼はそこで話を一旦切ると、立ち上がり棚のある方へと歩いていく。ガラス戸が軋みながら開く音がしたかと思うと、仁王は消毒液や包帯の入った救急箱を手に戻ってきた。
「一人で出来るか?」
「あ、大丈夫です。ありがとうございます」
机の上に並べられたそれらを見ていると、唯の足が思い出したかのようにじくじくと疼いた。彼女が思わず顔を顰めると、やっとかと仁王が呟く。痛みを感じないことの方が、かえって問題なのだと彼は補足した。
発泡性のある消毒液を傷の上に塗れば、裂くように鮮烈な痛みが走る。唯はぎゅっと唇を引き絞ってそれに耐えながら、包帯を巻いていく。
処置を終えた頃になって、おもむろに仁王が机の上へ何かを置いた。
見覚えのある畳み方をされたそれを目に留めた唯は、視線だけで彼を見る。
「丸井たちの借りがある。また、使うと良いぜよ」
僅かに迷った様子を見せた唯だが、小さく礼を言ってそれをまた生徒手帳の間に挟む。
仁王が突然ふっと笑った。
「お前さんは、意外と賢いのう」
唯はその言葉を黙って聞いていた。
「そのまま俺の期待を裏切らなければ、また助けてやるぜよ」
随分と傲岸不遜な言い方をされたものだと思ったが、良く考えてみれば、遠かれ自分も似たようなものなのだと彼女は思う。
仁王は自ら話すこと以外の自身に関わる詮索を殊に嫌っている。都合が悪くなれば、あからさまに話を切り、他の話題に置き換えるか、徹底的に無視をする。
もしここで彼女が、先の薄紙のことや髪の出所について尋ねたりなどしたら、彼は露骨に嫌な顔をしただろう。
己のテリトリーに対して、常人よりもずっと過敏で保守的。そういう性格の底辺において、唯と仁王はどこか似ているのかもしれない。
そんなことを思って小さく彼女がもう一度頷けば、彼は満足気に目を細めた。