
すっかり疎遠となっていた叔母が亡くなったとの知らせを受けたのは、ちょうど蝉の声も遠のき日の垂れる速度が加速し始める頃だった。
難しいなら無理にとは言わないが、可能であれば葬儀に参列して欲しい。そんな叔母の息子からの言葉の最後を待たずして答えを返すと、彼女は早々に勤め先へ休暇の申請を出し、最低限のものを詰め込んだボストンバッグ一つとともに、運よく指定席を確保することができた新幹線へと滑り込んだ。
決して快適とは言えないその狭い座席に身体を押し込めると、全身に重く圧し掛かる疲弊感に身体は貪欲に睡魔の糸を掴む。景色など見る余裕もなく、彼女はすぐに目蓋を落とした。
それから数時間が経って、ぼやけた思考のままに電車へと乗り換えると、車窓の外に散らばっていた建物群はその姿を段々と消していった。代わりに広がっているのは木々が生い茂るなだらかな山々の流線だけだ。
それだけで徐々に、確実に、染みついた環境から身体が乖離していくのを彼女は感じていた。あれほど巻き付いていた倦怠感の繭も今は完全に解け、彼女の足元に僅かに残るばかりだった。
不謹慎極まりない話だが、まるで初めて一人で電車に乗った子供のような浮ついた心境にそれは似ていた。
そうして幾駅も越えて辿り着いた無人駅に彼女は降り立つと、今度は慌てた様子でバスの時刻表へと目を向ける。
幸いにも一日に数本しか出ていないバスは、あと五分ほどで着く予定だった。もし乗り過ごしてしまったら、あと数時間はこの何もない駅でただ一人過ごす羽目になったと、彼女はほっと息をついた。
バス停に備え付けられた塗装の剥げかけたベンチに座りながら待っていると、やがて遠くからバスがのろのろと近づいてくるのが見えた。
彼女が駅に着き、そしてバスがやって来るまで、辺りには彼女以外の人の姿は全くなく、乗り込んだバスの運転手の反応も、むしろ乗車客がいたことに少しばかり物珍しそうな表情を浮かべたという始末だった。
件の叔母の家は、そんな経路を経てようやく辿り着く場所にあったのだ。
相当に年季が入ったバスは、少しの衝撃で大きくその駆体を軋ませる。
山道の至る所に転がる小石を跳ねようものなら、最後尾席に座る彼女の身体も軽く跳ねるほどだ。それは、人も機械も大差がないものだと感じる瞬間だった。
彼女の右手側には切り立った山の岩肌が縞模様を晒してどこまでも伸びていた。反対側には、彼女の視線の一段低いところの全面に木々の先端が広がっている。こちらも視界の遥か先までもれなく続いていた。
ただそれだけの話なら何も変わり映えのしない光景なのだが、そのどれもが鮮やかな橙色に染まっている。もうあと僅かな時間で失われる色彩に、彼女が感嘆したのは言うまでもない。
山道は緩やかな曲線を描き、バスはそれに合わせて悲鳴を上げながらゆらりゆらりと進んでいる。初めは彼女の頬を濡らしていた斜陽も、いつしか手元まで滴っていた。
通り過ぎたバス停の数は、三つ目あたりで数えるのを既に止めていた。少なくとも次が終点となるはずなのだが、そこに至るまでにあと十五分弱もかかるようだ。
不定期な揺れは、予想以上に彼女の思考を奪っていくのに一役買った。新幹線で味わったものとは全く異なる緩い眠りに落ちていく感覚もそうだが、目蓋に差し込む橙も存外に心地が良い。
ぼやけていく視界にそれでも必死にしがみつくのは、その知らせを聞いてから彼女から剥離した古く色あせた情景だった。こうして彼女に近づくにしたがって、徐々に本来の色彩を取り戻しているのは明らかだが、感傷的でありながらもどこか他人事のように感じるのは、やはり時間が経ち過ぎたせいなのだと彼女は理解した。
がたんと一際大きく車体が揺れ、その弾みで彼女の膝に乗せていたボストンバッグがバランスを崩した。咄嗟に伸ばした腕はかろうじてそれを捕まえたが、反動で勢い良く何かが飛び出した。
家を出る直前に唐突に記憶が蘇り、取り急ぎサイドポケットに無造作に押し込んだままだったことを思い出す。
彼女の視界の隅で赤いそれが夕日に染まって落ちていく。前の座席の下に滑り込んでいったのを漫然と見届けてから、彼女は慌ててそれを拾い上げた。
その守り袋は、ここへ連れ添ってきた記憶と同じように色褪せ解れている。
無川唯と叔母が共に過ごした時間は、彼女が幼い頃のほんの一年足らずの短いものだった。
それでもこうして彼女の胸を酷くさざめつかせているという事実は、色を失い記憶の片隅に落ち込んでいたとしても、彼女にとってはかけがえのない思い出であったという証明に他ならない。
唯はそんなことを思いながら守り袋を今度はコートのポケットにしまいこんだ。
目を伏せると図ったかのようにアナウンスが彼女の鼓膜を叩く。すぐに押し開けば、彼女の瞳の縁で橙が躍った。
ーーまもなく、終点の……