
二回目に行う授業もまた城咲は決まった課題を生徒たちに課す。
生徒たちの持つ新品のクロッキー帳の一ページ目へ、美術室内から見えるものを自由にデッサンさせるのだ。
制限時間はこの授業内であるゆえに、特に難しいモチーフを選ぶ必要はない。極端な話、目の前にある消しゴムを選んだとしても何ら問題はなく、現にそれを描いている生徒もいる。
スタートしてから間もなく、城咲は席から動かない唯の姿を見つけた。
半ば自習と相違がないため、殆どの生徒がそれぞれ中の良いグループを組み作業に取り掛かる中、彼女は一人そこに座り動く様子がない。
彼女もまた、同じく筆記用がモチーフなのかと興味が惹かれ、それとなく彼が様子を眺めていると、唯は時折ちらりと窓の外へ顔を向けつつその手を動かしていることに気が付いた。
一体何だろうかと後を追うようにして彼がその先を辿ってみれば、彼女が一体何を描いていたのかを理解した。
窓の外のバルコニーの手すりに一羽の鳩が留まっている。
人間に対する警戒心が殊に薄いと言われる鳩は、硝子一枚を隔てた向こう側で、唯のことを真っ直ぐに見返していた。
その鳩の様子に、彼女は今度はゆっくりと姿勢を変え身体ごと鳩に向ける。傍から見ると、さながら意思疎通でもしているかのようにすら感じるほどに、振れることなく互いに視線を交わしていた。やがて、唯の手が再び動き出す。
黒板の近くにある小机に座る城咲からは、その細部までは良く見えないが、酷く描き慣れている印象を受けた。
ふと、彼女の口元が、「あ」と形作る。
城咲が窓の外へ目を向ければ、そこに鳩の姿は既になく、錆びた手すりががらんと伸びているだけだった。
到底描き上げられるほどの時間はなかったはずであり、彼女が取る次の行動に益々強い興味を寄せていると、唯は姿勢を元に正し、何事もなかったかのようにスケッチブックに鉛筆を走らせ始めた。
今度は記憶だけで描いているのかと感心しながら、城咲は授業の残り時間を確認するために腕時計に視線を戻した。
彼女から美術部の仮入部届を受け取った時、彼は久しぶりに心が躍るのを感じた。
欲を言えば、もう一人期待をしていた生徒がいたのだが、残念ながら他の部へと入部してしまったらしい。
美術室で彼女の仮入部届と、先日授業の課題で描かせた絵を見返していた城咲は、じっと考え込んでいた。
部活動中だというのにも関わらず、室内に生徒の姿はない。
元々、総部員数がそう多い部ではない。それでも普段なら少なくとも一人くらいは姿を見せるのだが、二、三年は、明後日に実力考査を控えているため、それが終わるまではこの状況が続くのだろう。
現行の総部員数は五名。それも三年生が三名。二年生が二名だった。今年、新入生が最低でも一名入部しなかった場合、来年からは同好会の扱いになってしまうところだったが、辛くもそれは回避された。
美術部の仲間意識は非常に希薄である。このことに関して城咲は自分が口を挟むべき問題ではないと考えている。
現に文化祭や地域奉仕活動の際の合同作業に関しては、生徒たちは適切に取り組んでおり、部内において人間関係が対立しているわけではない。単純に個人が独自の世界を静かに築くことを良しとする人間ばかりが集まっているだけの話だ。
部活動と言うコミュニティにおいて、コミュニケーション能力を高めることを副産物として期待しているのであれば、城咲の行動はそれに反するものだろうが、これもまた一つの部活動の形であることには間違いないのだ。
入部届を受け取る際に、初めて唯と話す機会があったが、聞けば彼女はこれまで完全に自己流で絵を描いていたらしい。
目の前にある鳩の絵は、明らかに同年代から抜きん出ている。先日のアンケートの件だけではなく、このことも城咲にとっては初めての経験だった。
技術面はまだまだ伸びしろがある。磨きどころさえ間違えなければ、この先の彼女にとって替えがたい価値のあるものになるはずだ。
(何より)
城咲は、机の端に寄せてあったクロッキー帳に手を伸ばす。数ページをほんの一瞬眺めたのち、再び隅へ戻そうとした時、一人の生徒が姿を見せた。
室内に部員の姿がないことに気付いた彼女は、一番に怪訝そうな顔をしたが、城咲の姿に小さく会釈をする。
彼は小机の引き出しにクロッキー帳をしまうと、ゆっくりと立ち上がった。
「誰も居ないことに驚きましたか? 二、三年生は今週は来ないと思いますが、どうぞ気になさらず。美術部は、原則的に決めごとらしいものは特に設けていないので、無川くんも好きなところで好きなように活動して下さい。とりあえず、鞄を置いたら準備室の中を紹介しましょう」
彼の言葉に唯は安心したような色を瞳に浮かべ、そのまま室内を見渡す。その様子だけで、彼女が美術部に『適合』しているということが分かった。
やがて窓際に向かって歩き出す。結局彼女は、自席と同じ場所を選んだらしい。
鞄と画材セットを一旦机の上に置くと、彼女は窓の外へ視線を流す。
薄曇りの空は、蛍光灯で染め上げられた室内よりも、やけに白々しく輝き目に刺さるようで、唯だけではなく城咲も思わず目を細めた。
彼女はすぐに目を逸らし、数回瞬きをする。
「画材道具はこちらに持ってきて下さい。中に部員用のスペースがあるので」
それを聞き唯は画材セットを掴むと、城咲のいる黒板側の小机まで戻ってきた。